俺はオギャァと生まれた。
お前らだってそうだろ?
俺もそうだ。

んでもってそん時は決まって、
周りの人間ってのは泣いて喜ぶは笑って喜ぶかだ。

でも俺の周りは違ったらしい。

例えるならばクジ引きだ。
あの商店街とかにある奴な。
あれをよぉ、グルグル回すだろ?
そんでコロンと玉が出てくるわけだ。
「おめでとう!大当たり!」
鐘が鳴り響く。
だけどよぉ、
大当たりって言われてもよぉ、
"玉なんて出てきてなかったら"
キョトンとするしかねぇだろ?
本当に大当たりの玉が出てきたとしても、
その玉が見えてなきゃ「ん?俺当ったの?」って首をかしげるだけだ。

俺はその玉だった。

見えない玉のような赤ん坊がそこに生まれた。
オギャァオギャァと声は聞こえる。
母が手探りすると、
体温のある物体はそこにあった。

俺が生まれても、
誰も泣かなかったし、
誰も笑わなかった。

それが俺だ。

生まれ付いてのクリアヒューマン。
見えないインビジ人間。

確かに俺はそこに居たのに、
誰も俺の事を確認できなかった。
「きっとお前にソックリの男の子だよ」
「二人に似てるといいわね」
俺が生まれてくる前の母と父の会話だった。
それを確認できることは、
その先なかった。

でも母は素晴らしい母だった。
自分の子が透明だなんてことを受け入れ、
泣き叫ぶ透明の俺(赤ん坊)を抱き上げた。

俺はインビジのコントロールなんて出来ずに、
母の腕までも不可視にしてしまった。
母は驚いて我が子を落とした。
そのアザはまだ俺のケツに残ってる。
「ハハッ。まるで蒙古斑(もうこはん)だな」なんて笑ってくれるやつはいない。
俺自身、そのアザがどんな風かなんて確認できないんだから。

それでも俺は夢を見た。
一つだけ俺には習慣がある。
毎日鏡を見るんだ。
今日こそ映るかも。
そう思って鏡を覗き込む。
毎日映るのは後ろの風景だけだった。

だけど俺は毎日自分の映らない鏡の前で、
笑顔の練習をするんだ。
ある日ふと思った。
はたして俺は笑った事があるのか?

それを確認する術はなかった。





































「またこの煙ぃ!?」
「脱獄の時のと同じ。間違いなく奴だ」

イスカとマリナは、
逃げるでも向かうでもなく。
この街中に充満し始める煙の前で立ち竦んでいた。

「進まねばならんのに・・・・」

その煙は覚えている。
スモークボムとかそういう生易しいものではない。
ジョーカーポーク。
ペパーボム。
トクシン。
あらゆる爆弾の効力を気化させて使う。

「名前の通り、スモーク使いでガス使い・・・・。あいつね」

煙の奥から、
ガスマスク越しの君の悪い吐息が聞こえてくる。
シュコー・・・シュコー・・・
まるで機械のような、
生物感を感じさせない吐息。

「気をつけろマリナ殿。奴の煙には毒が混じっておる」
「分かってるわよ。あぁーあ全く・・・・毒毒毒毒。こないだの53部隊のオカマも毒使いだったわ」
「毒身生活という奴だな」
「慣れないクセにうまい事言おうとしてんじゃないわよ」
「すまぬ・・・・」
「でも本当にやっかい。あいつはガスマスクで問題ないのに、私達は近づけないなんてねぇ」
「マリナ殿。煙が充満してきた。少し退がろう」
「オーケェー」

退がるしかない。
毒の煙の中に飛び込むわけにもいかない。
入ったところで視界は無しだ。
スモーガスも探せない。
雲ならぬ煙を掴むような話。

「問題は煙による攻撃という点だな。流気体ゆえに、ミリ単位の隙間まで満遍なく充満する。
 最強の全方向攻撃だ。煙を吸わずに近づく事は不可能。まさに死角無し」
「死角無しの上に視覚無し・・・・私達には攻撃する資格さえ無しってところね」
「おぉ。さすがマリナ殿だ。拙者と違ってうまい事を言える」
「褒められると言ったのが恥ずかしいんだけど・・・・」
「すまぬ・・・」
「でも煙で見えない事を置いておいても近づかなきゃどうしようもないわね。
 煙を吸わずに近づく方法かぁ・・・・それが分かれば調理場の天井掃除しなくてもいいわよ・・・・」
「ダンボールを被って行くというのは?」
「そんな馬鹿な戦士いるわけないじゃない」
「そうだな」
「ま、でも」

ゴンッ、
とマリナはギターで地面を叩く。

「こっちには遠距離武器があるのよ。居場所さえ分かれば攻撃は出来るんだけどね。
 って言っても煙で見えないし、煙の特性を生かして隠れてるに決まってるしねぇ」
「うむ。まぁ大体の位置は分かるんだがな」
「それが分かれば苦労しないのよ」
「・・・・・・・・・「え?分かるの?」とかマリナ殿が言ってくれると思ったのだが・・・・」
「え?分かるの?」
「当然だ」

イスカは屈む。
屈んで集中する。
そして、
指をふと向ける。

「あの辺りだ」
「嘘じゃないでしょうね」
「物音がした」
「・・・・?私にはあんまり聞こえないけど?」
「足音だけではない。あ奴特有の吐息。それも聞こえる」
「聞こえるけどさ。こう、反響して掴み所がないっていうか・・・」
「いや、そういうのも踏まえて音の出所はあの辺りだと思う」

マリナは少し不可思議そうだった。
イスカの五感が優れている事は知っているが、
それは人より五感が優れている・・・程度の物だと思っていた。
耳が良く聞こえるとか、鼻が良く利くとか。
だが、
五感による天性のセンスを持ち合わせているらしい。

「煙の流れも追えば分かる。あ奴のガスマスクという代物。
 あれは吸わないものではなく、吸っても問題がなくなる物なのだろう。
 あ奴は吸っても大丈夫なだけで、間違いなく毒ガスは吸っておるのだ」

煙の流れ?
ハチャメチャに流れているだけに見えるが・・・・。

「なら」

マリナはギターを構え、
銃口の先にエネルギー・・・
魔力を溜める。
魔力の基礎の基礎。
魔力だけの造型マジックボールのエネルギーを。

「今どの辺か言ってみてよ」
「ふむ。動いてはおらんな。先ほど指を向けた箇所だ」
「オーケィ」

マリナは腰を深く構え、
銃口を堂々と向ける。

「黒こげ(オーバーグリル)にしてやるわ!!!」

放ったのはエネルギーの塊。
MB160mmキャノン。
ハンドボールほどのマジックボールが、
煙を空間に穴を開けながら放たれる。

「む」

それは予想より早く着弾した。
煙に隠れて見えなかったが、
家が立っていたのだ。
家の角に着弾し、
レンガが弾け飛ぶ。

「マリナ殿!!」
「分かってるわ!!」

そう。
そして、
マジックボールが作った道と、
着弾の衝撃で、
煙の中にわずかな視界が出来た。
そこに見えたのは、
着弾点から物陰に隠れる一つの姿。

「逃がすか!!穴あきチーズにしてやるわ!!」

すかさずマリナのギターがおしゃべりになる。
ギターの先端から無数の弾丸が乱射され、
煙の中に吸い込まれていく。
先ほどのキャノンが作った視界も閉じていく。

「・・・・当ったかしら」
「タイミング的には少々遅かったように思えた」

だが、
この作戦ならイケる。
イスカが探知機となり、
マリナが射撃する。
近寄れないスモーガスの煙による攻撃は、
逆に少し難しいだけの射的ゲームへと発展する。

「シュコー・・・・・」

どこからか、
マスクを通すその吐息が聞こえる。

「コォー・・・・・・俺が・・・・見えているのか?」

その疑問が、
街中の・・・・煙の中のどこからか聞こえる。
少なくともマリナにはどことも言えぬ空間から発せられているように感じられた。

「・・・・・シュコー・・・コォー・・・・・違うか・・・違うな・・・・残念だ・・・・・
 ・・・・・・音・・・気配・・・・やはりそんなものでしか俺を捉えられないんだな・・・・
 コォー・・・・・・誰も・・・・誰も俺を見てくれやしない・・・・・誰も・・・・・・・」

奇妙な声が、
空間を包み込む。
まるで、
触れもしない煙のように。

「・・・・シュ・・・・シュコー・・・・・俺が・・・見えないのか?・・・ちゃんとここにいるのに・・・」

「何を言ってるんだ・・・あの男は・・・」
「さぁ。理解しようとも思わないけどね」

「コォー・・・・すぐ傍にいるのに・・・・誰か・・・誰か俺を見てくれよ・・・・」

そんな不気味な声を聞いていると、
煙の中から、
コロンコロン・・・・と、

「爆弾!?」

マリナ達の足元に爆弾が転がってきた。
イスカとマリナは、
焦って背後に走って飛ぶこむように伏せる。

「・・・・・・・」

地面に伏せ、
耳を押さえていたが・・・・

「あれ?」

地面に伏せっていた二人が顔を上げると、
爆弾は爆発していなかった。
爆しない爆弾。
爆弾からは煙が吹き出ていた。

「・・・・ぬぅ。煙は奴のテリトリー(領域)。あくまで煙を広げて陣地取りしてくるつもりか」
「あっちにしてみれば煙の中に巻き込んでしまえば勝利なわけだもんね」

進まなければいけないのに、
下がる一方。
だがどうしようもない。
煙のテリトリーは、
どんどんと充満してくる。

「でも、やっぱり攻められるより攻めるのが私は好きよ」
「同感だ」
「イスカ。レーダーになって」
「レーザー?なるほど。光陰矢のごとし。命散らして突っ込んでまいる」
「レーダーって言ったの。探知機よ探知機」
「なるほど」

イスカは了承し、
屈むようにして集中する。

「・・・・・・」
「どう?敵の位置分かる?」
「いや・・・・・。もうちょっとまってくれ。先ほどの攻撃で敵もこちらの攻撃の軌跡が分かったのだろう」
「もっと奥に引っ込んじゃったってわけね」

こうしている間にもジワジワと漂ってくる煙。
害が無い様で猛毒。
滲み寄る立ち入り禁止。

「分かったぞマリナ殿」
「凄いわねイスカ・・・・・本当に分かるのね・・・・。コウモリかなんかなんじゃないのあんた」
「うむ?あんなピーピーうるさい生き物と同じにせんでくれマリナ殿」
「コウモリの鳴き声聞こえるの!?もうそれは聴覚異常よ!」
「そ、そうなのか?」

なんで今まで気付かなかった。
イスカの五感は異常だ。
優れすぎている。

「つまり、拙者は両生類だったのか」

ただ、脳みそは恐ろしいほど鈍感だ。
さらに音痴だ。

「とにかくどっち?」
「あちらだマリナ殿」
「こっちね」

マリナはギターを向け、
魔力を溜める。
イスカが指差した方向にギターの銃口を向ける。
ただ、
マリナにとっては煙に銃口を向けているとしか思えない。
前方180度。
マリナにとっては全てただの煙に埋め尽くされた景色。

「待ってくれマリナ殿」
「なぁーによ。注文のキャンセルほど店側に迷惑な事ないわ」
「方向自体はそちらなのだが、奴の吐息の反響からすると、家が丸々一件立ち塞がってる」

なるほど。
マリナには煙の景色にしか見えないが、
この銃口の先には家。
その先にやっとスモーガスがいるということ。

「家一件ふっ飛ばせばいいわけね」
「さすがマリナ殿。お強い」
「冗談に決まってるじゃないの。出来るわけないじゃない」
「さすがマリナ殿。冗談も上手い」
「料理と演奏以外は褒められても嬉しくないわ」

そうしている間にも、
着々と煙は充満し、
漂ってくる。

「・・・・・こちらにとってはオール死角。向こうにとってはどこでも攻撃範囲・・・・か」
「なに。拙者に切れぬものはない」
「イスカ・・・・あんた探知機になれたからいいものの、剣は今すっごく飾りね」
「・・・・・無念。ドジャーのように投げれればいいが、拙者不器用で・・・・」
「剣を投げるに至るほど不器用じゃなくてよかったわ」

だが、
どうする。
マリナの遠距離攻撃だけが要。

「はぁ・・・・」

そしてマリナはため息をついた。

「うんざりだわ。うん。やっぱりこーいうのは私には合わないわ」
「どうでいうことで?マリナ殿」
「狙うってのがすでに私の性に合わないの!」

そして、
開き直ったかのように、
マリナはギターに力を込め、

「私のポリシーは数撃ちゃ当たる!!!これっきゃないわ!!!!」

考えを改めたというよりは、
考えるのが面倒になって元のマリナに戻ったというべきだろう。
言うのと同時に、
溜めていたマジックボールを吹っ飛ばし、
それは無意味に障害物にぶつかり炸裂し、
無意味に煙を拡散され、

「ありゃりゃりゃりゃ!!!穴あきチーズが調理できるまで撃ち続けてやるわ!!!!」

言葉の通り、
発射ではなく、
乱射を開始した。
MB16mmマシンガン。
小粒なマジックボールのマシンガン。

「マ、マリナ殿落ち着いて!!!」
「落ち着いてるに決まってるじゃない!!うりゃりゃりゃりゃ!!」
「ふむ。なるほど。マリナ殿は落ち着いてるからこそそうなのだな。それぞマリナ殿。
 ・・・・・・・・・・いや!だがマリナ殿!無闇に撃ったって当たったりせんぞ!」
「どっかの偉い人が言ってたわ!撃たなきゃ当たらない!!」
「聞いた事ないが、どっかで誰か言ってそうだな」
「数撃ちゃ当たるのよ!」

蜂の巣を作成する女王。
クイーンビーは羽音を止めない。
ブロンドの長髪がマシンガンの乱射の反動で乱れて浮き上がる。
それはまるで蜂の羽ばたきのよう。

「あーーもー!!撃っても撃っても煙と壁ばっかり!!」

マリナの弾丸は、煙を貫く。
少々大口径の弾丸が飛べば、
煙をフワリと欠き乱し、
弾丸の通り道に視界は開ける。
だがそれも閉じる。
その繰り返し。

「出てこーーい!!出てこないと当たらないじゃないの!!!」
「そ・・・そんな乱射してたら余計に出てこないのでは・・・・」
「じゃぁ撃たなかったら出てくるの!?」
「そ・・・・・それは・・・・・」
「なら撃つべし!撃つべし!!!えぐるように撃つべし!!!」

狂ったかのように、
銃口が高笑いをやめない。
弾丸が煙の街に吸い込まれていく。

「そこかっ!!」

何もそこではないが、
マリナは思いつきで弾丸を発射する。
MB16mmショットガン。
散弾式のマジックボールが壁をえぐる。

「もー!当たれって言ってるんだから当たりなさいよ!」
「そんな・・・・言う事もやる事も無茶苦茶だマリナ殿・・・・」
「壁が邪魔よ壁が!!!なんで家なんて建ってるのよ!!」
「街だからだマリナ殿!落ち着いて!」
「森林ばっかり伐採して家ばっかり生えたがるなんて酷い時代よ!」
「それは難しい問題だ!」
「フフッ、でもね、イスカ」

マリナは一度乱射をやめ、
ギターというなの重火器の先端に魔力を溜める。

「数撃ちゃ当たる。そして撃たなければ当たらない。これは真理よ。
 宝くじだってどれだけ理不尽に低い可能性だろうと買わないと当たらない」
「それはそうだが・・・・」
「それにね、宝くじがどれだけ低確率でも・・・・毎回誰か当たってるのよ!」

そう言いながら、
マリナはギターという名のライフルを天に向けた。

「いや!それはそうだが!宝くじと鉄砲は全然関係ないぞマリナ殿!」

その通りだ。
宝くじというよりは、
どこかのボッタクリの祭クジか、
黒いカプセルに入ったガシャポンかなんかだ。
当たりがあるとは限らない。
だがマリナは聞かない。

「いっくわよー!!毒とかの攻撃であのオカマ野郎の時の攻撃思い出したわ!」

さらに魔力が溜まっていく。
天に向けたマリナのギターの先。
その弾丸という名の魔力が。

「壁があっても外は外!雨降れば雨宿りは出来ないわ!!
 マリナさん特製ミートボールを・・・・・・・・プレゼントしちゃう!!」

そして、
撃ち放った。
天へ。
一つの巨大な魔力弾が。

「MB1600mmダムダムランチャー(炸裂弾)!!」

天へ登ったと思うと・・・・

「弾けて散らばれっ!スクランブルエッグ!!」

空中で、
散開した。
まるで花火。
空中で弾けたマジックボールは、
無数の弾丸の雨となって街中に散らばった。

「どうだどうだ!まいったか!これがマリナさんの手料理よ!」

フフンと笑い、
マリナはブロンドの髪に手を通す。
弾丸の雨は街中に一斉に降り注いだ。
なかなかの光景だ。
本当にここら一体に散らばり落ちたと表現すべき。
雨と言って差し支えないほど、
それは驚異的に降り注いだ。

「これで少なくとも炙り出せるわね」
「マリナ殿!あまり無駄撃ちをしては・・・・・」

得意になっているマリナだったが、
イスカはあまりこのまま突っ走らせると危険だと感じ、
マリナの肩を掴んで抑えようとする。

「キャッ!!!」

だが、
予想外の反応だった。
マリナはイスカの手を全本能の反射のように、振り払った。

「マ・・・・マリナ殿?」

それが少しショックだったが、
それよりもその反応にイスカは驚いた。

「ビ、ビックリさせないでよイスカ!くすぐったいじゃない!」
「すまぬ・・・・だがそんな変に触ったつもりでは・・・・・」

だがイスカも気付く。
マリナに振り払われた手。
それが、
やけにジンジンと感触として手に残る。

「まさか・・・・」

イスカは気付く。

「マリナ殿。ちょっといいか」
「何?」

不思議がるマリナへとイスカは近づき、
そして、
人差し指をマリナの耳に・・・・・・突っ込んだ。

「オギャァァア!!!」

女性とは言えぬ声をあげながら、
マリナはカエルのように跳ねとび、
転がり、

「なななななななな何!?」

顔を赤くしながらゼェゼェと息を荒し、
動揺した。

「やはり・・・・」

イスカは確信した。

「な、何なのよ!」
「マリナ殿。マリナ殿は刺激的だ」
「はぁ!?脳みそ煙になっちゃったのあんた!?蜂の巣にされたい!?」
「いや・・・・すまぬ・・・口下手で・・・・そうではなく、刺激に弱くなっておる」
「茂樹に!?」
「誰だそれは・・・・。つまり、敏感になっておるというか・・・・」
「・・・・・・・・・・ペパーボム?」

マリナが聞くと、
イスカは頷いた。
ペパーボム。
通称トウガラシ爆弾。
刺激に弱くなる・・・・・つまり・・・・防御力が下がる。
ダメージが上がると言った方が理解しやすいか。

「ペパーボム?!そんなわけないわ!確かにスモーガスはあらゆる爆弾を気化させるわ。
 ペパーボムだってスモークボムのように使ってるかもしれない。
 だけど私達はまだ煙を吸っても触ってもない!攻撃は一度も受けてないわ!」

それはその通りだった。
だがイスカは首を振る。

「子供の頃、父上に聞かされた事がある。マリナ殿は蚊取り線香をご存知か?」
「え?そりゃまぁ・・・・」
「あれの原理は?」
「あの煙で蚊を殺すやつでしょ?それがあいつの煙と何か関係が」
「いや、違うのだ。父上は言っておった。蚊取り線香の煙とはただの排泄物。
 あれの原理は煙とは関係ない。確か燃やしたとき出る・・・ピレ・・・ピレシュ・・・ロニョ・・・・」
「ピレスロイド?」
「それだ」

イスカの言葉不器用さを放っておき、
マリナの顔は険しくなる。

「つまり、煙でなく、ちゃんと蚊を殺す物質が見えないところで放出されている」
「うむ。あ奴の攻撃もそれだったとしたら・・・・」

思い出す。

「!?・・・さっき放り投げられた爆弾!!」

煙の中から投げ込まれた爆弾。
マリナとイスカは爆発すると思い、伏せたのだが、
実際は煙を発しただけだった。
スモーガスの攻撃なのだからそれも事実煙を発しただけの話だと思っていたが・・・・

「あの時、煙には巻き込まれなかったが、見えないそーいったものが放射されていたとしたら・・・・」
「・・・・・・あの距離だもの。間違いなくそれね」

マリナは腕の動きを確認する。

「・・・・・毒は回ってないわ。受けたのはペパーボムだけだったみたい」
「不幸中の幸いか。しかし、これで奴はいつでも拙者らに致命傷を与える手立てを得た」

ペパーボムの効果は直撃級に受けている。
煙使いの攻撃だ。
直撃でなくともかなりの濃度だったのだろう。
サンドボムの爆風を受けただけでも、
今の刺激に弱い体ならばショック死さえ有りえる。

「・・・・・炙り出し・・・って言葉さっき使ったけど、それが得意なのはむしろ向こうみたいね」
「うむ。考えてもみれば拙者らに攻撃意志を持たせた方が向こうが有利なのだから」

少し煙が歪んでいた。
マリナの炸裂弾が降り注ぎ、
街の表面に打ち付けた弾丸の雨。
それが雨のように煙をボカしたのだろう。

「どうするマリナ殿。相手は完全に待ちだ」
「火の無いところに煙は立たず。飛び込むのは思う壺」
「相手は安全なところで期を伺っておる。ただ、獲物が自分のテリトリーに近寄るのを」

なら、
どうする。
降り注いだ炸裂弾は、
様子からするとあまり効果はなかったようだ。
広範囲に振り注いだとはいえ、ギャンブルはギャンブル。
この視界の無い煙の世界で、
スモーガスに攻撃を加えることなど・・・・・

「関係ないわ」

マリナは言った。

「考えるのなんて面倒なのよ。当たるまで撃つ。それだけよ」

その愚かな考え。
それに対し、
イスカは笑った。

「それでこそマリナ殿だ」

あまりにも愚考だが、
それでこそなのだ。
自分の愛する、世界にたった一人の女性だ。
彼女がそれでも攻めに転ずるというのなら、
自分は・・・・・ただ甲斐甲斐しく守る。
それだけだ。

「?!・・・・・イスカ!」

マリナが何かに気付き、
イスカに声をかける。
イスカも気付く。
自分達の左。
自分達の右。

「・・・・左右からも煙・・・・」
「さっきまでは前方だけだったわ。それがいきなり回り込まれたかのように横から・・・・」

煙という質量無きものが、
前と横に滲み始めた。
マリナとイスカを包み込もうとする、
煙という大きな大きな巨人の手の平のように。

「向こうも向こうで攻めに転じてきたってことね。上等だわ」
「いや、マリナ殿おかしい」
「何が?」
「後方を除いて周囲270度ほどに煙が充満し始めているが、そんなこと出来るなら最初からやっておるはずだ」
「・・・・・確かにそうね」
「スモーガスとやらは少し集中しなければ分からぬほどに忍んでおる。
 そんな距離感で拙者らの左右両方に煙を充満させるなど・・・可能か?」

言うのは簡単だが、
範囲を考えれば・・・広すぎる。
爆弾は投げれるとはいえ、一人で敵を挟み撃ちにするほどの効果を発揮させられるか?
もし万が一させられるとしても、
それはイスカの言うとおり最初からやっていたはずだ。

「確かに範囲が広すぎるわ」
「マリナ殿」

イスカはマリナを片手で制止し、
軽く目を瞑るようにして集中していた。

「・・・・・・・・マリナ殿の炸裂弾。無駄ではなかったようだ」
「え?」
「届く攻撃があるということを示せた。炙り出す・・・という意味で、向こうもボヤボヤしてられんと言うことだろう」

イスカの目が開く。

「気配を感じる。一人じゃない。敵は複数だ」


































誰も自分を理解してくれない。
否。
そんな表現は間違っている。

誰も・・・・
"誰も自分を認識してくれない"

見えないから、
それだけ。

暑い日だった。

数少ないお小遣いを握り締め、
アイスクリームを買いに言った。
俺はお店に入った。

「いらっしゃいませ」

そんな言葉は、俺は言われたことがない。
店員は自分に気付かず、椅子に座って小説を読んでいた。
魔動力で冷やされたクーラーを開け、
手を伸ばす。
アイスクリームを掴む。
それと同時に、自分に溶け込むかのようにアイスクリームは消えた。
見えない人間が、
見えないアイスクリームを手に持ち、
レジの前に立つ。

店員は椅子に座って小説を読むのをやめなかった。
いつものことだ。
俺は見えない硬貨をレジに置き、
その場を後にした。

あの店員はアイスクリームが一つ減っている事と、
いつの間にかアイスクリームの代金がレジに置かれている事に気付くだろうか。
きっと頭に「?」を浮かべて100グロッド硬貨をレジにしまうだけだろう。

俺は何をしたんだろう。
意味があったんだろうか。

減ったかどうかも分からない店のアイスクリーム。
増えたかどうかも分からないお金。
俺は買い物をしたことになるだろうか。
俺は世界に必要なのだろう。
俺の買い物に意味がなかったとしたら、
あってもなくても認識さえ出来ない行動だとしたら、
俺は存在自体この世にあってもなくても同じなのかもしれない。

暑い日だった。

感じることも皆と同じだ。
ただ見えないだけ。
暑い日のアイスクリームはおいしい。

ただ、
そんなおいしいアイスクリームが、
あとどれだけ残っているのかも、
握っている自分でさえ分からなかった。

俺は存在しているのか?
している意味はあるのか?
俺は誰だ。
誰にも分からない。
誰にも認識できない。
自分自身でも。

今日も鏡の前に立った。
鏡よ鏡よ鏡さん。
答えてくれなくていい。
ただ俺を見せてくれ。

鏡は答えてくれなかったし、
鏡は応えてくれなかった。
今日も鏡には何も映らない。

暑い日だった。
太陽がギンギンと睨んでくる。
暑い日だった。
なのに、
自分の影は生まれてこの方、一切存在したことがなかった。

次の日からスモーガスはお金を払うのをやめた。
その行為にさえ意味があるのかも分からなかった。





































「複数!?複数ってどういう事!?」
「分からん。だが・・・・・」

もう一度確認する。
肌で。
音で。
気配で。

「やはり・・・・複数いる。煙の中に、複数の敵がいる」
「どーいう事よ!スモーガスってのがいっぱいいるってこと!?」
「分からぬ・・・・ただ・・・そういえば・・・」
「何?」
「あの男、闘技場で出くわした時・・・・・・たしか死んでいたはず」
「は?」
「いや・・・・確かシドとかいうウサギの理解不能な微笑ましい格好をした殺人鬼に細切れにされていた」
「そういえばそういう報告もあったような・・・・あんまり興味ないから覚えてないけど・・・」

ともかく、
スモーガスがいる事自体は間違いない。
死んでなかったとしたら、
死んだのは誰だ?
そして、
煙の中で当たり前のように活動する者達。
それはなんなんだ。

「複数いるってのは間違いないの?」
「うむ・・・・」
「なるほど。イスカの言うとおりね。左右にまで届く範囲。複数いるなら合点がいくわ。
 この広範囲の煙のテリトリーは複数で生成してたってわけね」
「うむ。そしてそれを隠さずに曝け出してきたのは、やはりマリナ殿の炸裂弾が効いている」
「とりあえず全部敵なのは間違いないわけか・・・」
「どうする?一体だとしても勝てる見込みが見つかってなかったが・・・・」
「あら。私の答えなんて分かってるでしょ?」
「まぁ、それでも攻めあるのみであろう」
「ブブー。的が増えてラッキー♪」
「マリナ殿のそういうところが好きだ」

どんな状況にも屈しない。
屈するどころか能天気と言ってもほどの前向き。
誰かが《MD》で一番の怖いもの知らずと称したが、
それは案外かなりの長所だ。

「お客は丁重に扱わなきゃ」

マリナがグルンとギターを回し、
それは鮮やかに腰の部分で止まる。

「逃げるお店がどこにある?」

そう微笑んだと思うと、
やはりそのギターの先には魔力が集結していた。

「待てマリナ殿!包囲網なのだ!攻めるにしても考えを・・・・・」
「守るのは攻められた方が考えるものよ!当店は注文されたメニューは世界が終わっても出すのがポリシーなのよ!
 そして逆もしかり・・・・・・・・・・・出された料理は残さず食べる!お残しと金無しはレシートと一緒にゴミ箱へ!!」

そして発射された魔力弾。
それはやはりどう考えても狙って撃ってるとは言えなく、
街の一角を粉砕しただけだった。
だがその一箇所は、
その一時期だけ煙も吹き飛ぶ。

「出前に行ってくるわ!客の口に料理ぶちこんでくる!」
「ちょ・・・・マリナ殿!」
「いらないモノを投げ入れろ〜そこのカゴに投げ入れろ〜♪」

鼻歌を歌いながら、
マリナは突っ込んでいった。
飛び込んでいった。
女王蜂は、
煙の中へと・・・・

「待っ・・・マリナ殿っ!!」

焦って追いかけようとするイスカだが、
それを遮るように煙がまた閉ざした。
薄っすらと煙の中に消えていくマリナの影。
と同時に、
また破壊音。
マリナがまたぶっ飛ばしたのだろう。

「弾丸で煙を掘り進む気か・・・・本当に恐れ知らずだ・・・・」

イスカはため息をつく。

「何故なのだろうな・・・・不器用な拙者より不器用な戦い方しか出来ぬのに・・・・・」

こんなところであぐねいている自分より、
よっぽど器用に見える。

「煙に塞がれたといえ・・・何故拙者は足を止めた・・・・もう迷いなどないはずなのに・・・・」

マリナを守ると決め、
それに迷いなどないのに。

「マリナ殿・・・・拙者は貴方の足元にへばりついてついていく・・・・影でしかないのか・・・・・
 貴方は眩しすぎる・・・・拙者は貴方の前には行けぬ影法師でしかないのか・・・・」

大空を知ったのに。
まだ自分は地面を這っているのか。
そう思うと・・・・哀しくなった。

いやだ・・・。

もう、
蛇のように地面を這いたくない。
























食卓。

テーブルは一つ。
椅子は三つ。
料理も三人分。

人間は二人。

母と父と何者か。
俺は母と父をテーブルに挟んだ向こう側で、
フォークを手に取る。

「いただきます」

必ず言う。
俺は必ず言う。
言わなきゃ分からないからだ。

出入りもそうだ。
「いってきます」「ただいま」
言わなければ、
誰も俺が帰ってきたか居ないのか、
何も分からない。

フォークをコロッケに刺す。
俺が持ったせいで見えなくなったフォークが、
コロッケを持ち上げる。

母と父にはコロッケが独りでに浮かび上がるようにしか見えない。
ハッキリいって気持ち悪い。
俺自身でさえそう見える。
ハッキリいって気持ち悪い。

コロッケをかじる。
かじった部分が消える。
俺の体内に入るとそれも当然見えなくなる。
まるで世界から消滅したように。

「好きなだけ食べてもいいのよ」
「あぁ。育ち盛りだからな」

計算は足し算じゃなく引き算。
皿からどれだけ料理が無くなったかでしか俺の食事量は測れない。

「残すなよ?育ち盛りは惜しみなく食べるべきだ」

心優しい父。
だけど、
正確な身長さえ俺は測れない。

外見がないのだから、見かけの成長など意味があるのかさえ分からない。

「おいしいよ。このコロッケ」

「まぁありがとう」

俺はいい子だ。
ちゃんと言う。
おいしそうな顔など一切出来ないからだ。
何せ究極の無表情なのだから。

「ご馳走様」

手を合わせる。
その誰にも見えない動作に意味があるのかも分からない。

俺は部屋に戻る前に、
トイレに寄っていった。

入る前と後。
全く変わらない便器の中身なのに、
俺は水を流して部屋に戻る。

忘れちゃいけない。
部屋のドアの札をひっくり返した。
札には"IN"とだけ書いてある。
まるでトイレだ。
だけど書いておかないと分からない。

部屋の鏡を少し覗き込み、
そして寝た。

布団に潜った。

「俺は・・・・生きてる意味があるのか・・・・」

布団に潜るといつも考える。
このまま眠ってしまうのと、
死んでしまうの。
そして・・・・
"もとからいなかった人間だとしても"
全て変わりない。
他の人間には自分を認識できないのだから。

「母さんと父さんを苦しめているだけじゃないのか・・・・」

父と母は、
聖人と言っても過言ではないほど尽くしてくれる。
こんな常時インビジブルなんて気持ち悪い息子を、
それでも息子だと言って育ててくれる。

「うう・・・・」

枕に顔を埋める。
枕がクシャリと独りでにゆがむ。

そういえば小さい頃は母さんがよく絵本を読んでくれた。
俺が寝付けるようにと。
なんだったかな。
カボチャの話だった。
サラセンのパンプキンヘッドの他愛のない童話。
それを読みながら、
母さんはよく読むのを途切る。

俺が寝たかを確認するためだ。

息子が寝たかも確認できない。
寝息以外で息子が寝たかを確認する術がないからだ。

「起きてるよ・・・母さん・・・・」

子供の頃のように、
彼は枕の中で呟いた。

「起きてるし・・・息もしてる・・・・ちゃんと俺は生きてる・・・・」

でも・・・・

「分からないんだよね・・・見えないから・・・・」

あぁ・・・・
分からないなら、
どっちでも同じだ。
居なかったら居なかった。
ただそれだけの存在。

「誰か・・・・俺を見てくれよ・・・・」

誰かと・・・
目を見て話して見たい。
誰かと・・・
微笑みあってみたい。
誰かと・・・
にらめっこをしてみたい。
誰かに・・・・
道端で声をかけられてみたい。
誰も・・・・
俺の頬に御飯粒がついてる事に気付いてくれない。
誰だって・・・
見えないものは見えない。

「だれか・・・・・」

毎日望む、
願い。

「俺を見てくれよ・・・・・」

なんで俺は見えない。
なんで俺が見えない。
すぐ傍にいるのに。

































煙の中、
彼は彷徨っていた。

「・・・・シュコー・・・・」

まさか自分から煙に飛び込んでくる馬鹿がいるとは思わなかった。
思わなかった。
飛んで火に入るとはこの事。
火の無いところに煙はたたないのだから。

「コォー・・・・この煙は毒ガスだぞ・・・・トクシンを酸素代わりに吸っているようなものだ・・・・
 ・・・・シュ・・・・・・・それを分かっていて飛び込んでくるとは・・・あまりに馬鹿なのか・・・・」

それとも・・・・

ガコンッ!!
と、
景気のよい音がする。
煙のテリトリーの中でだ。

「活動しているのは間違いない・・・か・・・・シュコー・・・・どこまで持つかは知らんがな・・・・
 この視界の無い世界で・・・・・何も見えないこの煙に巻かれた世界で・・・・・・」

だが、
それを確認する術さえ彼には無い。
逆転の発想・・・・とまでは言わない。
ガスマスクのレンズ越しの景色で、
肉眼と比べれば遥かに見通せる。
肉眼と比べればの話だが。

「・・・・シュコー・・・・どこにいる・・・・」

的確な位置までは分からない。
少々見渡せる程度で、
煙の中がほぼ不可視なのは誰にとっても一緒。
ただ生きていられるかどうかの違い。

「コォー・・・・もう死んでもいい頃合なのだが・・・・」

だが、
またガコンッ!と音が鳴り響く。
恐らくショットガン。
視界の利かないこの煙の世界で、
あの女は広角的な攻撃を選択したのだろう。
そして活動している鳴き声と言ってもいい。

「蜂の鳴き声か・・・・恐ろしいものだ・・・・」

だが何故死んでいない。
何故まだ息絶えていない。
見えないこの世界で、
毒にまかれて死ぬはずの世界で。

ガコンッ!!ガコンッ!!
ショットガンの音が鳴り響く。
大体の位置は音で分かる。
移動している。
生きている。

「・・・・・シュコー・・・・」

マリナという女。
この見えない世界で、
ショットガンを振り回して活動している。

「・・・・それでも視界は一方的に"俺達"にある。こちらの領域である事は事実。
 仲間と連動して位置を把握する必要があるか・・・・近場の仲間は・・・・・」

そう思っていると、
近場でうめき声が聞こえた。
ガコンッ!というショットガンの音と同時にだ。

「・・・・・シュコー・・・・」

体を固める。
息を出来るだけ殺す。

「・・・・・・やられた・・・というのか・・・・・」

一体どうやって。
見えない世界で活動できる人間などいるのか?
毒まみれの居場所のない世界で活動できる人間などいるのか?

俺が・・・・見えているのか?

家の壁に貼り付きながら、
辺りを警戒する。
ガスマスク越しに煙塗れの世界を視認する。

「俺が・・・見えているのか・・・・コォー・・・・・俺を・・・見てくれる人間が現れたというのか・・・」

分からない。
分からない。
ただ、
ショットガンの音が消えた。

「・・・・・どこに行った・・・・」

汗が出てくる。
あまりよくない。
汗に気化した毒が付着する。

だが奪ったはずの相手の視界。
なのに今はこちらが相手を捉えられずにいる。
こんなことは初めてだ。
焦りもする。

壁に貼り付きながら、
右、
左、
後ろ。
耳を済ませながら周りを警戒する。

「料理をお届けに参りました〜♪」

「!?」

ハッと声に気付き、
見上げる。
上。
上だ。

屋根の上。
自分の真横の家の屋根の上で、
赤いドレスの女が見下ろしている。
ギター(重火器)の先端をこちらに向けて。

「・・・・シュコー・・・貴様っ・・・・」

合点がいった。
ギターという名のショットガンを、屋根の上から構えているあの女。
煙の中でも、
見下ろすと言う体勢から、
ブロンドの髪が散らばって見える。
そのブロンドの髪を束ねるかのように、
こちらを見下ろす彼女の顔。

・・・・・。
血の付いたガスマスク。

「食べすぎでお腹壊さないでね♪」

表情の見えない女王蜂が、
屋根の上からガコンッと音を鳴らした。



































「・・・・・・飛び込むか・・・・」

イスカは決心した。
煙の中で愛するマリナの鳴き声が聞こえる。
あの銃声が聞こえているうちは生存を確認できているわけだが、
そうも言ってられない。

煙の中は危険なことに変わりない。

「拙者が守らなければ・・・・・」

目の前の煙の世界に足を伸ばす。
何も見えない煙の視界。

その先のマリナ。
マリナを守るには。
マリナを守るには、
自分が絶対しなければいけないことは・・・・・

鞘に手を添え、
今無謀にも踏み込もうとした時、

カランカランッ・・・と、
煙の中から何かが転がってきた。

「ッ!?」

また爆弾かと警戒したが。

「それあげるわイスカ」

煙の中からマリナの声が聞こえ、
転がっている物は・・・・ガスマスクだった。

「無事だったかマリナ殿・・・」
「当たり前じゃない」

煙の中から、
ガスマスクを付けた女王蜂が姿を現す。

「あんたは死んでも私を守るんでしょ?あんたが生きてて私が死んでるなんてありえないわ」

状況的に通らない理屈も、
マリナは自信満々に言うし、
ガスマスク越しにも彼女の笑い顔がイスカの目には映し出された。

「あっ。ちょっと待っててね」

マリナはヒマしないほど行動が早い。
煙の中から無事に出てきたと思うと、
近くの家に窓から飛び込んでいった。
もちろん、
ギターをハンマーのように使い、
当たり前のように窓を割って侵入していった。

「・・・・・・・」

展開の動きが早いせいでよく分からずにイスカは混乱していたが、
とりあえずマリナが投げてくれたガスマスクを見る。

「・・・・・うぅむ」

ガスマスクは割れていた。
血のりの付いたそのガスマスクを拾い上げるが、
やはりヒビが入っている。
これじゃぁ煙の侵入を防げない。

「あれ?使えなかった?」

ヒョコリとマリナが家の窓から顔を出す。
ガスマスクを額に上げて、
素顔が見えていた。

「ありゃりゃ。そいつに関しては上から撃ったからね。ガスマスクまで壊しちゃったのか・・・・」
「そいつ・・・・というと?」
「とりあえず中で二匹ほど始末してきたわ」

そんなことをサラリと言い、
マリナは窓を鮮やかに飛び越えて戻ってきた。

「恐らく両方とも偽物のスモーガスだったわ。まるで自分が本物かのように動いてたけどね」
「本物かのように・・・というと?」
「どっちのガスマスク野郎も、"俺が見えないのか?"とかそーいう言葉を口走ってたわ。
 まるで自分達までがスモーガスの苦しみみたいなのを共有しているかのようにね」
「その倒した二人のどちらかが本物だった可能性は?」
「うーん・・・・手ごたえが無さ過ぎだったし違うと思う」

手ごたえか。
あまり直接戦闘が得意なタイプの敵ではなさそうだから、
本物のスモーガス自体の手ごたえも知れたものだと思うが、
あっけなく倒せた二人が本物とも考えづらい。

「両方ともガスマスクの下の顔はモブキャラ顔だったしね」
「酷い事と言うな・・・マリナ殿」
「そうね」

と悪ぶれもせずにマリナは答え、
そしていつの間にか手に持っていた気持ち悪い色の液体の入った小瓶をらっぱ飲みし始めた。

「マリナ殿。それは?」
「ん〜?」

風呂上りの牛乳のようにその液体を飲み干すと、
その小瓶を捨てる。

「解毒ポーションと。どんな家庭での一個くらい常備してるもんでしょ?」
「!?・・・マリナ殿!?毒を食らったのか!?」
「心配しなくてもいいわ。直撃は食らってないし」
「・・・・というと・・・」
「人は肌からも呼吸するものなのよ。煙の中でこんな格好じゃチョイチョイ弱っちゃってね」

そう言うマリナの顔色を見ると、
確かに少し悪かった。
が、
それも解毒剤のお陰で見る見る元通りになっていく。

「一応数本持ってきたわ。イスカも持っておきなさい」
「う・・・うむ・・・・」
「って言ってもガスマスク無しじゃぁ多分速効だわ。煙の中で活動する分の応急処置程度にしかならないからね。
 あぁ大丈夫よイスカ。その割れたガスマスクの代わりもすぐマリナさんがとってきてあげるわ」
「マリナ殿・・・」
「んー?」
「そのマスクは拙者に譲ってくれないか」

イスカは、
真剣な眼差しでマリナに言った。

「マリナ殿を危険な目に合わせるわけにはいかない。拙者が煙の中に入る」
「やーよ」
「だが・・・」
「私が面白くないじゃない。私がぶっ飛ばしてやりたいのよ」
「だが拙者はマリナ殿を守りたい・・・・」
「大丈夫大丈夫。心配しないでって。もし危なくなったら助けにきてチョーダイ」

言ってる事は目茶苦茶だが、
どうやら言いくるめられそうになかった。

「それにイスカ。あんた言ってる事が目茶苦茶よ?」
「へ?」

何を・・・とイスカは動揺した。
マリナの言っている事が目茶苦茶なのは分かるが、
自分の言っている事のどこが目茶苦茶なのか分からない。
ただ、
自分はマリナを守りたいだけなのに。

「あんたは私を守るんでしょ?」
「と、当然!」
「じゃぁちょっと頭冷やしてみるべきね」

そう言うなり、
マリナはガスマスクを被りなおし、

「ちょ、ちょっと待たれよマリナ殿!」
「あんたはちゃぁーんと私のフォローしてねー!」

聞く耳もたず、
また煙の中に飛び込んでいってしまった。
ヒラリと赤いドレス。
ヒラリとブロンドの長髪。
煙に消えていくそれらが、
頭に残った。

「拙者が・・・・何か間違えたか?」

イスカには・・・分からない。
シシドウ=イスカには・・・・分からない。





















「おりゃぁ!ハンバーグ作成っ!」

ガコンッ!と、
マジックボールの弾丸が炸裂。
凝縮された魔力弾丸によるショットガン。

「ごっ・・・・」

その直撃を食らった男は、
ショットガンの反動で吹っ飛び、
壁に張り付けになり。
体の前の無数の穴から血糊を、
そして背後の壁をズルリと落ちると、
べったりと血糊を残して、
地面に倒れた。

「これもハズレくさいわね・・・・。あっ!またやっちゃった!」

その男のガスマスクに手をかけたが、
やはり一個穴が空いてしまっていた。

「視界の悪い中じゃぁMB16mmショットガンは効果的なんだけど・・・
 ガスマスクを無傷で回収するためにはちょっといただけないわね・・・・」

だからといって下半身を狙って吹き飛ばすというのも悪趣味だ。
そんな風に困っていると、

「あれ?」

ガスマスクのレンズ越し。
悪い煙の中での視界。
その男のガスマスクを外すと・・・・

「女?」

男じゃなく、それは女だった。
防煙ローブとガスマスクの姿で見分けなど付かなかったが、
偽スモーガスの中には女も混じっているようだった。

「別に自分に似せようって気もないみたいね。っていうか本物の容姿さえ知らないんだけどさ」

死体を漁るのも悪趣味だ。
自分の店の裏の残飯を漁る猫やカラスみたいなものだ。
マリナは彼女を捨て置き、
また煙の中に視界をやる。

「また探さなきゃねー」

一面煙。
まだどちらから来たかくらいは覚えているが、
見慣れないルアスの町並みが、
360度全て煙まみれなのだ。
まるで本の宝探しゲーム。
煙だらけの世界でスモーガスを探すのは至難だ。

「でもこいつらは直接攻撃の手段に乏しいのは間違いないわね。本物はどーか知らないけど。
 なら見つけたもんが勝ちだわ。片っ端からやっつけてあげる。
 数撃ちゃ当たるがポリシー。クジだって全部引けば絶対当たりがあるんだから」

そう思い、
歩を進める。
この視界のない煙の町並みを。

「毒の方は・・・・まだ大丈夫ね。あ。飲むときどうしよう?ガスマスク取らなきゃじゃない。
 ってそれは最初の奴倒した時と同じで、周りの煙を一時的にフッ飛ばせばいいか」

ポジティブ・・・というか。
究極の前向きというか。
そう。
怖いもの知らず。
それこそがマリナの長所。

だから何かに怯える事もなく歩を進められる。
検討も確信もなくても、
彼女は敵のテリトリーの中で歩を進める。

「さぁーて♪敵さんどこかしらー?」

嬉しそうな女王蜂は、
敵の巣の中だろうと容赦ない。
蜜蜂の巣を食い荒らす女王蜂かのように。
自ら銃器という針を突き出して進む女王蜂。

「敵は減れば減るほど探すの面倒ね・・・・。ま、煙があるほういけばハズレでもいーから居るわけだけど」

恐れも知らず、
銃器(ギター)を担いで煙の中を進む。
ガスマスクの悪い視界の中、
逃がすものかと目を光らせる。

「もー!出てきなさいってば!面倒臭いわね!」

ガコンッ!とショットガンをぶっ放す。
家の角が吹き飛ぶ。
それだけだ。
八つ当たりのように。
モンスターが煙の街中を徘徊する。

「イスカみたいに五感が効けばいいんだけどさー。うーん。目はいいんだけどねぇ。ここじゃぁ・・・・」
「マリナ殿!!!」

イスカの声が聞こえた。
煙と入り組んだ町並みで、
聞こえづらかったが、
間違いなくイスカの声だ。

「なぁーーーにぃーーー?イスカーーーー?」
「右だ〜〜」
「え〜〜〜?」
「右におるぞ〜〜!」

何が?
と思った。
イスカが?
いやいや、イスカは煙の外だろう。
まったく伝わりづらい。
WISオーブかなんかで連絡してくれた方が楽なのだが、
イスカじゃWISオーブを使いこなせない。

「右に本物がおる!!」
「え!?」

マリナは煙の世界で咄嗟に右を見る。
・・・・。
目を凝らすが見づらい。
ガスマスクを付けても10m先が限界といったところ。

「本当なの〜〜?」

声を張って聞き返す。

「本当だ〜〜。最初に聞いた音と同じ形態の音がするのだ」

なるほど。
最初に聞いた音。
スモーガス本体の気配音。
それを識別したわけか。

・・・・。
気配の音で人物を識別できるなんて、
野生の動物以上の五感だ。
イスカの器官には恐れ入る。

「ふーん」

マリナはガスマスクの下の唇を歪ませる。

「じゃぁいっちょ試しに・・・・」

その時、
薄っすらと煙の先に影が見えた。
マリナにも見える。
物音がハッキリと聞こえる。

さすがに声のせいであちらにもバレた。
逃げようとしている。

「逃がすかっての!このマリナさんから逃れられるとでも思ってるの!?」

同時、
あたりの煙を散らすように、
マリナのギターが火を噴く。
連続で。
まるでドラム音。
パパパパパパパパッと連射音。
ギターという名のマシンガンが弾丸を乱射する。

「・・・・・・コォー・・・・・」

煙の向こうで何かがよろめいた。
倒れかけたのが見えた。

「逃がすか!!!」

マリナはギターを構えたまま、
赤いドレス姿で突っ走る。
こうなるとマリナの機動力はズバ抜けている。

《MD》での運動能力は、
もちろんチェスターが一番で、
速さではドジャー。
筋力ではメッツ。
柔軟性においてはイスカがそれぞれ群を抜いていたが、
マリナは跳躍力を含め、
軽やかな機動力で誰もを越えていた。

蜂のように舞い、蜂のように刺す。

赤いドレスの女王蜂が、
一瞬で本物のスモーガスの影まで飛び込む。

「そのまま食い潰れちゃいなさい!!!」

「・・・・クッ・・・・ソッ・・・・・」

弾丸を数発受けたらしいスモーガスは、
なんとかマリナから逃れようとするが、
すでにマリナはスモーガスに追いついていた。
ギターの先端を向ける。
いや、
ギターの先端を、逃げようとするスモーガスの背中にぶつける。

「直接胃袋へ料理を運んであげるわ!!!!」

そして、
閃光。
0距離にて、
スモーガスにショットガンをお見舞いする。

「うごっ・・・・・」

スモーガスの体は、
体が背中から逆の"く"の字にへし曲がり、
吹っ飛び、
ゴロゴロと転がって止まった。

「・・・・はぁ〜・・・・苦労した・・・・・イスカがいてくれて助かったわ・・・・」

マリナは、
スモーガスの死体を見ながら、
安堵のため息をついた。
ため息をつくと、
自分のガスマスクからも「シュコー」と音が出る。

「・・・・・・?」

だが、
その死体を見た。

「・・・・女・・・・・」

死体からガスマスクが剥がれ、
現れたスモーガスの素顔は女だった。
否。
違う。
アレックスの情報も事前に少々聞いている。
スモーガスは、
素顔や実際の容姿は謎に包まれているが、
とりあえず男であるはずだ。

ならこのスモーガスは・・・
さっきと同じで・・・・偽物?

「でもイスカは最初に感じていた奴と同じ気配音だったって・・・・」

だがそれを思って、ハッと気付く。
最初、
イスカとマリナと対峙していた一人のスモーガス。
アレが、
"アレが本物だという保証は全くない"

「くそぉ・・・ハズレばっか引いちゃうわね・・・・。いえ・・・引かされてるのかしら・・・・」

下手な鉄砲ほど扱いやすいというべきか。

「全く・・・マリナさんは人におちょくられるのが大嫌いなのよ・・・・」

相手が今にもどこかでほくそえんでると思うと、
腹が立ってくる。

「マリナさん侮辱罪は万死に値するわよ・・・残飯処理も必要ないほどに調理してやるわ・・・・」

だが、
本物のスモーガスはどうやって探す。
それでもイスカと自分を頼りに一人一人しらみつぶしにしていくのは有効だ。
最後には本物とぶち当たるはず。

だが、
この調子。
今倒した奴の調子だと、
本物のスモーガスは上手い事自分に被害が出ないように立ち回っている可能性が高い。
なら、
本物が最後の一人になった場合、
その時点で逃走される可能性もある。

「その場合はこっちが足止め食らっただけになっちゃうわね・・・ほんと腹立たしいわ・・・」

なら、
ならばだ。
どうにかやはり本物を見つけ出す必要がある。
あるのだが・・・・
それを・・・・

どうやって見つける。

本物のスモーガスの情報は何も無い。
識別する方法はない。
なのにどうやって本物を見つけ出す。

この、
煙の世界で。
見えない世界で。
何もかもが煙(けむ)に巻かれた世界で。

マリナはイラだった。
こうやって足止め食らわされるのは性に合わない。
ハンバーグに出来ないほどミンチにしてやろうと思う。

とりあえずどうする。
どうする。
イスカ待ちか?
どうにかイスカが本物にしか無い何かに気付いてくれるのを待つしかないか?

「こーいう時はいつもどーしてたっけなぁ・・・」

マリナは苦笑する。
そしていろいろと思い浮かべる。

「ま、誰かに頼るところだけど・・・・」

こういう困った時、
誰にどうしろと聞く?
誰に何をしろと命令する?

決まっている。

「最近だったらアレックス君よね」

そう言ったのと同時。




TRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR




煙の世界に着信音が鳴り響いた。



































TRRRRRRRRRRRRRRRRRR

「!?!?」

スモーガスは焦った。

「・・・コォー・・・・なんだ?・・・・・」

煙の世界の中、
自分の懐から強烈な音。
WISオーブの音。

「くっ・・・・」

スモーガスは、
衣類越しに、
懐のWISオーブを叩いて着信を止めた。

「・・・・・・仲間?・・・・」

スモーガスの戦いは、これまでの通り。
不可視の世界こそ、スモーガスの戦い。
ならばもちろん着信音などにも気を使ってマナーモードにしているが。
逆に言えばスモーガスのテリトリー。
そこまで気にするほどでもない。

重要な着信だけは、識別できるように着信音が鳴るようにしていた。

それはつまるところ・・・・ロウマ。
いや、
ロウマの命令を伝えてくるかもしれない、
44部隊の仲間の着信。
それだけは緊急と判断し、
マナーモードから除外していた。

「・・・・・・シュ・・・・・・・まぁいい・・・・」

スモーガスは移動する。
こういう事態も想定している。
あれ一回分なら、
このまままたどこかに移動すれば、
煙ならぬ雲隠れ。
また自分を見つける事は相手にとって至難だろう。

「シュコー・・・・・・・・・44部隊(あいつら)が何の用だったかは後回しだ。
 あいつらだったら、俺が着信を無理矢理拒否したことから状況は察してくれる」

ロウマが認めた44部隊。
だからこそ、
自分も認める44部隊の仲間達だ。
世界最強の部隊。
世界で唯一信頼する仲間達なのだから。



TRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR


「なっ!!?」

スモーガスは、
さすがに驚愕した。
二度目の着信。
有りえない。

移動しながら動揺する。

「・・・・シュコー・・・・馬鹿な・・・・。確かに44部隊(うちら)の中にも頭の悪いのはいるが・・・・」

ロウマやユベンが指揮する44部隊。
この戦争の最中だ。
連絡役をする仲間が、状況を察せない馬鹿野郎はずがない。
なのに、
まるで自分を追い詰めるように二度目の着信。

「・・・・コォー・・・・・それほどの緊急事態なのか?・・・それとも・・・・」

スモーガスは、
煙の中をひた走り、
適当な家へと飛び込んだ。
家の中も煙が充満している。
その家の中に転がり込み、
少し周りを・・・・
家の外を警戒して。

「・・・・・・なんだ!?・・・・」

半分キレ気味にWISの着信に応答する。

「・・・・シュコー・・・・こっちは戦闘中だ!・・・・それなりの場面なんだよ!用なら後回しにし・・・・・」

[スモーガスさんですね]

「ッ・・・・!?」

WISの先から聞こえたのは、
予想の外の人物だった。

「・・・・コォー・・・・貴様・・・・・」

[そう。アレックスですよ。スミレコさんのWISオーブをお借りしています。
 そこから状況を想像してもらえれば・・・・この電話は切れないと思いますけども。
 それでも一応言っておきます。電話を切ったらスミレコさんがどうなるか・・・・]

WISの向こうから、
ほくそ笑むような気配がした。
それに対し、
スモーガスは舌打ちする。

「・・・・・シュコー・・・・スミレコを・・・・・人質にとったと言いたいのか・・・・」

[そんなところです]

あの馬鹿女が・・・・
スモーガスはイラ立つ。

[もちろんスモーガスさん。貴方が僕の仲間と戦っている事も情報として入ってきてます。
 状況も想像できます。切ったら間髪入れずにまた着信します。設定変更するヒマなくですね。
 そーいう意味では切ってくれてもこちらとしては助かるかもしれませんがね]

「切らねぇーよ・・・・シュコー・・・・・」

面倒くせぇ・・・。
ムカムカする。
アレックス部隊長。
やはり気に食わない。
グレイ達が奴を裏切り者として固執したのも分かる。
今は自分も同じ気持ちだ。

「・・・・コォー・・・・コー・・・・・手短に用件を言え・・・・」

[大丈夫です。スミレコさんの命を保証したければ自殺してくださいとまでは言いません]

「・・・・シュコー・・・・当然だ。俺達とて覚悟している。釣り合わないだろうが。
 ・・・・・スミレコとてそこまで足を引っ張るなら捨て置く。そんな用件は飲まない」

[でしょうね。ちょっと期待してたんですが]

何が・・・・期待していただ。
性根の腐った英雄め。
誇りも何もない。
最悪の裏切り者め。

見えないところからおめおめと・・・・
俺に指図するだと・・・・・
俺も見えていないところから・・・・・。

[ま、用件は特にないです]

「なんだと?」

[この通信で少しでも不利になってくれればそれでいいんです。
 それだけでスミレコさんの命は保証しましょう。でも・・・希望は一つあります]

「聞くかは知らんが・・・・コォー・・・・言ってみろ。こちらもさっさと通信を切りたい」

[こちらに下ってください。それでそこでの戦いも終りです。マリナさん達には僕らから連絡します]

「・・・・シュコー・・・・」

何。
何?
何といった。
・・・・。
ふざける・・・な。

下れだと?

「ふざけるなよ・・・・・」

考えれば考えるほど、
ムカムカしてくる。
確実な怒りが、
スモーガスに込み上げてくる。

「俺の魂はロウマ隊長に売った!永遠に!永久にだ!たった唯一!俺を認識してくれる彼に!!
 答えはNOだ!話にならん!俺の見えない誇りはロウマ隊長と共にある!それが第一事項だ!!!
 それと比べたらスミレコの命など天秤にもかける意味はない!これは44部隊全員が思っている事だ!!」

怒りで声を張り上げたせいで、
息が整わない。
ハァ・・・ハァ・・・と疲れた吐息が、
ガスマスク越しでシュコォー・・シュコォー・・・と響く。

[いいんですか?そんな強気な態度に出て。こちらは正真正銘、スミレコさんを手中に収めています]

「正真正銘だぁ?」

シュコー・・・
シュコー・・・・
吐息が漏れる。
それは、
荒れた息だけでなく、
笑みの音でもある。

「悪いな・・・・・最終事項として決定力不足だ。こんなWIS・・・なんの証拠にもならねぇ・・・・」

スモーガスは、
言い捨てる。

「俺は・・・・・"見えないものは何も信用しない"」

そういい捨て、
スモーガスはWISオーブを地面に叩き付けた。
ロウマの命令が来るかもしれない大事な通信機器だったが、
それは部屋の中で砕けて飛び散った。

「・・・シュ・・・シュコー・・・シュ・・・シュコー・・・・見えないWISの先の事象など信じるかよ・・・・」

スモーガスは、
地面に散らばったWISオーブを、
これでもかというほど踏みつける。

「この世は見えるものが全てなんだよ!!見えない世界なんて何も信用できねぇ!!」

「同意見よ」

ハッ・・・と気付き、
スモーガスは振り向く。

「隠し味は、味として出てくるから隠す意味があるんだしね」

そこには、
一人の女が居た。
割れた窓枠に、足をかける女王蜂。
ギターを担ぎ、
赤いドレスでブロンドの長髪。
そして血のりの付いたガスマスク。

ホラー映画のような殺人鬼・・・女王様が、
家の中に片足を踏み出していた。

「メインディッシュだけど、味わう時間はあげないわ」

そしてマリナのギターが、
狭い部屋でスモーガスに向いたと思うと、
弾丸が飛び、
スモーガスの鮮血が舞った。



























「コロル」
「コロル?」

誰が俺を呼ぶ。
誰だ。
誰だ?
って言うかコロルって誰だ?

「コロル。大事な話よ」
「もし居るなら居間にいらっしゃい」

あぁ。
俺じゃないか。
俺の父と母が付けてくれた名前だ。
colorと書いてコロル。

分かってる。
皮肉じゃないさ。
色が一切無い、
いや、一彩無いこの俺に、
"色(color)"なんて名前を付けた。

母と父は偉大だった。
俺は尊敬に値する。
神よりも高等な存在として感謝の限りを尽くす。

こんな気持ち悪い透明な子供を、
ここまで育ててくれた。

いっそ・・・・と思った事など一度や二度じゃないだろう。
ノイローゼのように狂いそうになった事も一度や二度じゃない。
愛する我が子を見たことさえなく、
愛する息子が居るのかさえ分からない。

だが、
父と母は育ててくれた。
苦労と哀しみがあっただろう。
だけど育ててくれた。
こんな居もしない息子のために。
生まれてこのかた色の無いこの俺に、
コロル(color)と名付けてくれて、

俺の人生にわずかな色をくれた。

「来たわねコロル」
「よく来た」

足音を聞いて、
父と母が言った。
二人とも改まって居間に正座していた。

「大事な話よコロル」
「あぁ。座りなさい」

"ついに来たか"

俺は確信した。

父も母も、
もう限界だった。
お互いやつれ細り、
見えない息子を育てる生活のせいで衰弱していた。
それでも俺を育ててくれた。
極限の精神衰弱。
俺にもそれは分かっていた。

だから、
それは納得していた。

「父さん母さん。いいんだ。俺を捨ててくれ」

ここまで育ててくれた。
透明な、
不明確な俺を、ここまで立派に。
だからもういいんだ。
感謝しかない。
あんた達はゆっくり休んでくれ。
そして、
いつか俺が恩返しもする。

「何を言ってるの?そんなことするわけないじゃない!」
「お前は俺達の息子だぞ!」

俺は、
その言葉にグッと胸が苦しくなった。
疲れ細った両親が、
そう言ってくれる。

あんた達はそんなになってまで俺を育ててくれた。
なのに・・・なのに・・・。

「明日引越しをするのよ」
「俺の転勤が決まってな。ミルレスだ。田舎だぞ?覚悟しとけよ」

そう父は笑ってくれた。
俺がどこに居るかなんて分からないくせに、
俺に向かって微笑んでくれた。

「明日一番で出るからな。荷物は用意しなくていい。新しい生活の始まりだ」
「次の家はちょっと小さいわよ?1DKしかないんだから」
「だけど。その分お前がどこに居るのかよく分かる」

あんた達は・・・
そこまでしてくれなくたっていいんだ・・・
もう次の人生でも天国に行けるくらいの善行は積んだよ。
もういいのに。
もう楽になったっていいのに・・・。
あんた達は・・・。

「・・・・・・ありがとう」

感謝・・・しかなかった。
それでもなお愛を注いでくれる両親に、
感謝以外の言葉なかった。

俺は、
生まれただけで不幸だ。
誰もが手にいれる物を手に入れられず、
存在さえも取り上げられた不幸者だ。
だけど・・・
そんな俺を産んでくれたあんた達のお陰で・・・

俺には存在(色)が辛うじてあった。

「ありがとう・・・ありがとうありがとうありがとうありがとう・・・・」

俺は、
コロルは、
生まれてきた人生の日数の分、
全ての感謝を込めた。
ありがとう。
ありがとう。
その言葉は、
部屋の中で幽霊のうめき声のようにこだました。





















「コロル〜?」
「行くわよ〜?」

俺は起きた。
母と父の声でだ。
布団を跳ね飛ばし、
飛び起きた。

「ほら〜。さっさとしないと置いてくぞ〜?」

「待って!待ってくれ!!」

玄関から父と母の声が聞こえくる。
引越し。
そうだ。
今日は引越しだった。

泣きつかれて寝すぎた。

「早くしなさ〜い?」
「カレワラWIS局の魔女さんが近くで待ってるんだからな〜」

「はい!はいはい!すぐ!すぐだから!」

そう言いながら、
コロルはパジャマを着替えようとしてやめた。
どーせ誰にも見えないんだ。
何着てたって同じだ。
パジャマのまま、
体一つで階段を下りていく。

「この家ともバイバイか・・・」

階段の傷跡を見て懐かしむ。
普通の家庭のように、
その階段の柱には傷の印がついていた。
成長の証。
見えないからこそ、
この階段の傷が俺の成長を物語ってくれた。

「準備いーよ母さん!父さん!!」

玄関で待っていた父と母の前に、
階段からジャンプしてコロルは着地した。

「いこう!」

見えないけども、
コロルは満面の笑みで父と母に言った。
俺はここにいる。
行こう。
三人で。
新しい生活に。

「コロル〜?」
「コロル〜?行くわよ〜?」

「・・・?・・・父さん?母さん?」

「コロル〜?返事くらいしなさい」
「黙ってるような子は置いてっちゃうわよ〜?」

「父さん!?母さん!!?」

コロルは父と母の真横で、
飛び跳ねて音を立てる。
大声を出す。
自分を示すために。
だが、
父と母は、

「コォーロル」
「返事しなきゃ分からないでしょー?」

二人ともあらぬ方向を見て、
目の前にいるコロルを呼んでいた。

「コロル〜?魔女さんがお待ちなんだぞ〜?先行くぞ〜?」
「ちゃんと付いてくるのよ〜?」

父と母は、
玄関を開けた。

「・・・・・・・」

コロルは、
立ち尽くした。
玄関が開くと輝く外の光。

「コロル〜?早くしろ〜?」
「魔女さん来ちゃうわよ〜?」

父と母は歩いていく。
手荷物を持って、家を後にする。

「・・・・・父さん・・・・母さん・・・・」

「コロル〜?」
「コロルってば返事しなさ〜い」

父さんと、
母さんは、
疲れてた。

透明な我が子を育て。
椅子しかない場所に御飯を一人分作り、
入っているかも分からない息子のために風呂の栓は抜かず、
笑顔を作っているかも分からない息子に愛の言葉を投げかける。
そんな毎日。

父さんと、
母さんは、
疲れてた。

「コロル。早くしなさい」
「返事しないと分からないわよ」

聞こえないはずはない。
毎日がそうだったんだから。
だけど、
父と母は聞こえないフリをしている。

父と母は聖者にも等しい。
それでも息子を見捨てたりしない。
息子を呼びながら、
父と母は家から去っていく。

「父さん・・・母さん・・・・」

父さんと、
母さんは、
疲れてた。

だから納得していた。
父と母が俺を見捨てても、
怨んだりはしない。
恨んだりはしない。
むしろ感謝しかない。

感謝以外にする権利が俺にはない。

「だけど・・・・」

遠のいていく父と母の背中。
自分の名を呼びながら、
俺を探すフリをして去っていく両親の背中。

それでも俺は感謝しか出来ない。
だけど、
昨日。
あんな風に言ってくれたから。
だから、
あまりにも嬉しくて、
全部吹っ飛んでいた。
受け入れるつもりだったのに、
あんた達があまりにも優しすぎるから、
その気持ちは一晩途切れてしまっていたんだ。

それで、
この仕打ち。

「父さん・・・母さん・・・・」

感謝しかするつもりはなかった。
だけど、
あまりの感謝の絶頂から突き落とされた俺は、
あまりに哀しい。
あまりに虚しい。
あまりに恨めしい。

悪い。
ごめん。
あんた達は俺を哀しみの底に突き落とした。
だから、
だから俺はこんなあんた達にかける言葉は一つしかない。

「ありがとう・・・・」

やはり、
感謝しか。
もう十分なんだ。
いいんだ。
受け入れる。
あんた達はよくやってくれた。
こんな俺をここまで育ててくれた。

「コロル〜?」
「コロル〜〜」

あんた達は俺を育て疲れて狂ってしまったんだとしても、
もとからこうするつもりだったんだとしても、
よくやってくれた。
それでもあんた達は聖者のようだった。
神よりも素晴らしい親だった。

だって、
それでもあんた達は俺を見捨てない。

そうやって俺の名を呼んでくれればいい。
楽になってくれればいいんだ。

俺を捨ててくれればいい。

次の生活で、
また俺を育てるんだろう。
見えない俺に、
居ない俺に、
声をかけ続けるんだろう。

いいんだ。
今日から本当に俺が居なくなってしまうけど、
あんた達は俺を育てるフリだけして、
二人で過ごしてくれ。
楽になってくれ。

見えないコロル(息子)はあんた達と共に生きる。

だから、
俺はこれから違う人生を生きる。
あんた達を解放し、

「煙(けむ)に巻かれるよ」

スモーガスという名で生きる。


































「ぐっ・・・・くっ・・・・」

鮮血が落ちる。
鮮やかな血?
笑える表現だ。
見えない血が、
スモーガスから垂れ落ちる。

「・・・・・ってぇな・・・・」

弾丸を食らったのはどこだ?
自分自身にも見えないから分からないが、
痛むのは、
左脇腹一箇所と、
そこに連なる左腕が3箇所。
そして耳ごともってかれた顔面が一箇所。

ガスマスクは、
割れて落ちた。

「な・・・何?なんなのあんた・・・・」

目の前の女は驚愕している。
ガスマスクの下の顔に。
下の顔に?
笑える表現だ。
顔なんてないから驚いているんだ。

「どうなってるの・・・・・」

「・・・・ヘッ。実は身長の低いガキでした・・・なんてオチなら俺も幸せだったんだがな」

まるで服だけ動くように、
スモーガスが前を向く。

「透明人間って知ってるか?実在してるんだぜアレ。"俺も見たことないけどな"」

マリナが動揺するのも無理はない。
今、自分に話しかけてきている者が・・・・居ないのだから。
服。
その襟の部分から、
頭を包んでいたローブまで、
まるで空洞。
服の中は空洞。

透明な何かが象っているかのように。

「・・・・・・フフッ」

だがマリナは笑った。

「危うく騙されるところだったわ。なんて事はない。ただのインビジじゃない」

「インビジなんて珍しくない世の中なのにテメェが違和感を感じた理由はなんだ?
 インビジなわけがないのにこの俺が消えているからだろうが!
 攻撃を受けたら解除される・・・・・・・それぐらい知ってんだろ?痛ぇんだよ!てめぇの弾丸よぉ!」

インビジは攻撃を受けたら解除される。
そう。
ならばスモーガスが消えているわけがないのだ。

「よ・・・44部隊ならそれほど特異な能力者が居てもおかしくはないわ」

「んーなら衣類ごと全部消すっての。テメェにバレバレなのに体だけ消す意味あるかよ」

そんな事を言いながら、
スモーガスは腕をこちらに向けてくる。
衣類だけがこちらを向く。
それはまるで、
ハンガーとコートだけのモンスター。
ディグバンカーのポトを思い出させる異常さだった。

「そう。てめぇが認めたくねぇほどに、俺ぁ認められねぇ存在なんだ。
 居るわけがないと思われ続ける人生。その気持ちが分かるか?
 これでもマシになった方だ。ロウマ隊長に会えたし、服は見えるようになった。
 昔はそんな制御できなかったしな。・・・・・・・何も見えなかった。
 パンピーがインビジやるのと同じで身に着けるもの全部消しちまってた。
 ・・・・・・・・・・パンピーか。なんて羨ましい言葉だ。なにせ見えるんだからよぉ」

スモーガスはそう皮肉に苦笑いを浮かべた。
浮かべただけでそれは見えなかった。

「・・・・・同情はしないわよ。この最後の戦い。敵だろうと味方だろうと引けない覚悟を持ってるんだから。
 全ての人間が全ての人間に同情をするようなら戦いなんてものは起きないのよ」

「あぁそれでいい」

スモーガスは言った。
悠長な言葉遣いだ。
こんな風にしゃべる男だったのか。

「気付いてみれば素の声を聞くのは初めてね」

「素顔を見せたいのが本音だがな。俺自身、俺がどんな顔か知らねぇんだからよぉ」

同情はしない。
意識を他に移す。
声。
そう。
何故スモーガスの声が素のままに聞けるかと言うと、
それは単純にガスマスクを通していないからだ。
なのにしゃべっているというのは・・・・

「煙は・・・解除したようね」

「解除とは違う。自然に無くなっただけだ。出し続けなければ消える。煙ってぇのはそんなもんだ。
 ・・・・なのに俺は違う。何もしてねぇのにずっと消えたままだ。何のジョーダンだよこれは」

「・・・・私はあんたが気に入らないわ」

マリナはギターを構える。

「どんな言葉を交わしても、最後に自分の話題に持っていく。そういう人間が一番お酒飲みたくない相手よ。
 そして何に対しても愚痴愚痴愚痴愚痴。どっかの偉い人がこんな事を言っていたわ。
 努力する人は希望を語り、何もしない人は不満を口にする。まさに世の中の縮図ね」

「結構。俺はそんな底辺に相応しく生まれてきた」

「自分を不幸だ不幸だって考えてる人間が一番アタマにクんのよ。
 私の街には恵まれない社会不適合な馬鹿が明日の事も考えずに酒を飲みながら笑ってたわ」

「そいつらは不幸なだけで幸せだからだ。てめぇらは本当の不幸を知らない」

「じゃぁ言い換えるわ。私は不幸な奴なんて大嫌い。不幸な奴なんて知らないところで死ねばいいわ」

「俺の気持ちを理解しようとする奴も!出来る奴もいねぇから俺みたいな人生ができちまうんだよぉ!!!」

スモーガスは叫んだ。
どこから声が発せられているかも分からない。
あの空洞の衣類の中から。
彼がどんな表情で叫んでいるのかさえ分からない。

「バリアフリーってなんだ!?盲目の逆の人間に対する何かなんてこの世にはねぇ!
 障害者を越えてすでに化け物扱いだ!俺が最上級の努力をしても人並みは手に入らねぇ!
 簡単だ・・・・普通に人間にあるものを俺は決して手に入れられないからだ!
 不器用な恋愛さえ出来ねぇ・・・俺の初体験はレイプだった!それしか方法はねぇからだ!
 それでも人並みの愛を求めても、恐怖に泣き叫ぶ相手を見たら傷つくのは俺の方だった!
 店で金を払いたい気持ちが分かるか!?犬に吼えられたい気持ちが分かるか!?
 自分の容姿に悩めねぇ心境は!?犯罪を起こしても罰を課せられない哀しみは!?」

「わ・・・・・分かるはずないじゃない。分かる気もないわ・・・・」

「だから俺は誰にも理解されねぇ!誰にも存在自体を認めてもらえねぇ!
 ただ普通に!いや!普通以下の最悪の人生でもいいから歩みたいだけなのに!
 なんでこうも不公平なんだ!なら俺はどうすれば皆と同じになれる!!」

フッ・・・と、
何かが吹き抜ける感覚を得た。
風?
違う。
だが、
何かがマリナを吹き抜けるような。

「簡単だ・・・・・」

それは分かった。
世界にとっては何も意味はない。
何も変わらない。
ただ、

「全て・・・・俺を含めて見えなくなってしまえばいい・・・・」

世界が消え去った。
スモーガスを中心に、
全てが不可視。
クリア。
透明。
インイビジブルに。

壁も無い。あるのに。
床も無い。あるのに。
天井も無い。あるのに。

全てが・・・・・・
周りにある全てが消え去った。

「な・・・何コレ・・・・」

話には聞いていた。
スモーガスの・・・・無差別インビジ。
周りの全て、何もかもを巻き込むインビジブル。

マリナ自身の姿も消え、
とりまく全ても消えていった。
まるで世界が消えていく感覚。

自分が立っている場所さえ見えないため、
平行感覚さえ失われた。

「世界なんて無くなってしまえばいい」

マリナは焦る。
停電した家の中のように、
まず求めるのは近場の壁。
不可視の世界で手探りで探し、
そして転んだ。

「俺が・・・見えないだろ」

「クッ・・・・」

マリナは地面に両手をついた。
何も見えない世界。
暗闇よりも何も見えない世界で、
地面に頼るように。

「すぐ・・・傍にいるのに・・・・」

ギターはどこいった。
転んだ拍子に落とした。
どこだ。
手で探っても分からない。

「痛っ・・・」

割って入ってきた窓ガラスが手に刺さった。
そして、
足音も聞こえる。
近くにスモーガスがいる。
だが、
何も分からない。
近いのか、
遠いのか。
そして、
自分がどこにいるのかさえ。

「居ない事より、居る事の恐怖を知れ。これが不可視であり、不可思議な俺の世界だ。
 それでも・・・・『ワッチミー・イフユーキァン(出来るもんなら見てくれよ)』・・・・・」







































「なんだ!?」

イスカは足を止めた。
止めるしかなかった。

煙が消えたと思って足を動かしてみれば、
今度は足の動かし方が分からない。

「どうなっておる・・・・」

世界が・・・消えた。
世界を無くしまった。

「そうか・・・あ奴の能力・・・・そうだった・・・・」

何も見えなくなる世界。
暗闇よりも性質が悪い。

真っ暗よりも見えないのだから。
目の前の暗闇さえも見えないのだから。
煙の、
1m先が見えないなんて話じゃない。
暗闇の、
1m先が見えないなんて話じゃない。

1mm先も見えない。
こんな感覚があってたまるか。

「落ち着け・・・・・見えないだけで、世界はある」

むしろ目を瞑った。
見えないのなら同じだ。

ならば使えない視覚など捨てる。

「五感などいらん。5個もいらない。4つでいい」

耳に伝わる音。
鼻につく匂い。
肌に当たる感覚。
舌に受ける空気。

先ほどまで煙が充満していたこの空間ならば、
どれもが武器になる。

「ぐっ・・・」

うまくはいかない。
壁にぶつかったようだ。
それだけで、
方向感覚のない、
上下左右の見分けさえつかないこの空間では、
スッ転びそうになる。

「のけっ・・・・」

ままならぬ体勢で、
イスカは剣を抜く。

「のけぇ!!!!」

何にぶつかったのかも分からないし、
目の前に何があるかも分からない。

だが、
とにかく斬り捨てた。
何を斬り捨てたのかも分からない。
透明過ぎるこの世界。
遠い視界の先に、
全く関係のない切り取られた町並みがあるだけ。

「拙者はマリナ殿を守らなければならん!!そのために!
 弊害するものは全て叩っ斬る!!なんであろうとも!!!」

周りの障害の形など分からない。
地面の歪みなど分からない。
どちらに向かっているかも定かではない。
まだ敵は数人残っている。
どれがスモーガスなのかも分からない。

だが、
マリナの匂いだけは分かる。
音。
空気。

世界の何もかもが分からないが、
たった一つだけ分かるもの。

それは守りたいもの。


「ああああああああああ!!!!」

「!?」

声。
声だ。
分からないはずがない。
マリナの声。
目を瞑っていたが、
開けようとした。
いや、
それよりも感じるべきだった。
目を瞑った暗闇の世界でも分かる。

マリナがマシンガンを撃っている。

「だぁーーーりゃだりゃだりゃだりゃぁぁぁああ!!!」

乱射だ。
いつも通りの。
この方向感覚の無い世界。
見えない敵。
見えない景色。
発狂に近い攻撃手段に出てもおかしくないだろう。

「マリナ殿・・・すぐに・・・・」

目を瞑った世界で、極限まで集中する。
守りたいものがあそこに居る。
・・・・少し遠い。
だが、
手の届かない距離ではない。

「すぐに・・・・すぐに・・・・」

焦るな。
焦ると周りを見失う。
失った周りを手に入れるんだ。

「マリナ殿は戦っている・・・文字通り・・・見えない敵と・・・」

マリナが戦う。
そう思えば、
逆に発狂などという表現を使わなくとも、
マリナは元からあぁいう戦い方をするだろう。
だが、
不可視をテリトリーとするスモーガスと、
それに飲み込まれたマリナ。
どちらが不利かは分かる。

「くそぉ・・・・こちらも壁か・・・・」

見えない壁が遮る。
マリナへの道を。

「・・・・・待て」

マリナは何故乱射している。
混乱?
いや、敵を倒すため。
あれがマリナの戦い方だ。
数撃ちゃ当たる。
それを実行している。

「イスカァァァアアアアアアアア!!!」

「マリナ殿!!」

違う。
違う違う違う。
マリナは、
知らせているんだ。
自分に、
居場所を?
それこそ違う。

銃を乱射することで・・・・・・・世界を教えている。

目を瞑った世界なら分かる。
そこら中にぶつかる弾丸。
着弾。
距離感。
雨が降り注ぐかのよう。
建物。
障害物。
それらの距離感が分かる。

「マリナ殿が発狂などするはずがない!」

あの怖いもの知らずの女王蜂が、
何に怯えるというのだ。

そこら中に着弾するマシンガンの飛礫(つぶて)が、
遮る物の所在を教えてくれる。

「ハッ・・・・」

馬鹿だった。
マヌケだった。
まるで漫画の中の奇策のように、
見えないなら目を瞑る。
そんな阿呆の行動に出てしまった。

「この世界はインビジブル・・・ならば・・・・」

イスカは目を見開いた。

マリナの行動。
それは、音の反響で周りを教えてくれてるんじゃない。

「見える・・・・水溜りに落ちる・・・雨の波紋のように・・・・」

この世界がインビジブルならば、
やはりインブジブルの領域を出ない。
インビジブルならば、
"攻撃を受ければ解除される"

マリナの弾丸がぶつかった箇所は、
一瞬だけだが、元通りのパズルのピースのような世界を描いた。

「木漏れ日が如き世界・・・・マリナ殿が照らしてくれている」

小さく、
わずか。
だが、
マリナの弾丸は、世界を照らしている。
小さな小さな道しるべを、
イスカに教えてくれる。
そして・・・・

「拙者の名を呼んだのだ!マリナ殿が・・・マリナ殿が呼んでいる!!!」

ならば、
ならば向かわなくて、
守らなくて何が守るだ!

「・・・・・ぐっ・・・」

目を見開き、
マリナのマシンガンのサーチライト。
町並みに映るわずかな、
刹那のインビジブル解除を目印に、
イスカはマリナのいる遠き場所へ駆けようとした。
だが・・・
体が一瞬崩れる。

「あの・・・・やからめ・・・・」

マリナにばかり気を取られて、・・・・・やられた。
スモーガスが、
このインビジブルの世界でどう攻撃してくるか。
それを考えれば一瞬で分かるものなのに・・・・。

「この見えない世界で・・・・・煙を・・・・・」

見えなくとも世界があるように、
見えなくとも、煙はある。
もう一度煙を充満させてきた。

「う・・・ぐ・・・・」

毒が回る。
眩暈がする。
マリナがマシンガンの着弾で障害物の位置を教えてくれようとも、
されど世界は360度不可視。
上も下も分からない方向感覚。

そして最悪なのは、
煙がどこから充満してきていて、
どう逃げれば煙から脱出出来るのか。

インビジブルの世界では全く、可能性0なほどに分からなかった。

「・・・は・・・あぁ・・・・・」

イスカの体が崩れる。
いや、
崩した。
咄嗟の判断。
馬鹿と煙は高いところが好き。
低き場所ならば煙は少ない・・・・

「・・・・と睨んだのだが・・・・」

それも安易だった。
ドライアイスが地面を這うように、
所詮空気より重いがどうかの話。
煙使いスモーガスの煙は、
そんな安易な考えで逃れられるものじゃなかった。

「マリナ殿が呼んでいるのだ・・・」

だからといって、
へばっているわけにはいかない。

「マリナ殿を守らなければならんのだ・・・」

こんな姿、
見せられない。
もう、
オロチとしての・・・・蛇としての生活はマッピラだ。
地を這う生活などしたくない。

「マリナ殿に・・・立ち塞がるものは・・・なんであろうと・・・・・」

イスカは剣を握る。
その名刀。
名刀セイキマツ。
100年の名剣。

「・・・・・」

ふと思い出す。
アレックスとドジャー。
こんな話をしていた。
この名剣の持ち主。
剣聖カージナルとの戦いの話。

「・・・・・・なんであろうと・・・・・」

イスカは握り締める。

「どんなものでも・・・・・」

体に力を込める。

「守るためには斬り伏せる!!!!」

イスカが振り切った名剣は・・・・

煙を切り開いた。

かつて、
ドジャーのスモークボムを、
剣聖が切り開いたように。

『ハートスラッシャー(この世に斬れぬものなし)』

その剣と、
持ち主に、
二言はない。

心さえも、斬り伏せよう。


































「お前がスモーガスか」

俺は驚愕した。
あの日。
あの時。
驚愕以外の何物でもなかった。

世界がひっくり返り、
俺はショック死してしまうかと思うほどに驚愕した。

「気にするな。別にお前を求めての事ではない。たまたま見かけたからな。声をかけてみただけだ」

たまたま見かけた?
そんなことはありえない。
俺は・・・見えないのだから。

「な・・・なんなんだあんた・・・・」

声をかけられたのだ。
なんでもない、
大通りの真ん中。
人通りは少なかったが、
彼に声をかけられた。

「俺の存在なんて知れ渡っていない・・・・飯を食い繋ぐために依頼を受けた裏の輩が数人・・・
 俺の存在なんてその程度で・・・・むしろ知れ渡る所か認識もされず、存在を認められてさえいない・・・」

なのに、
声をかけられた。
見えない俺が、
いきなり背後から声をかけられたのだ。
この、
2mを越す、
ただ立っているだけで隙のカケラもない男に。

「このロウマとて、小耳に挟んだ程度だ。ただ見かけたからな。それだけだ」

「見かけたって・・・・」

見えない・・・・んだぞ?・・・俺は・・・・
すでに身体以外を露にする程度にインビジブルを抑制できるようになっていたが、
体温を発するのを人はやめれないように、
俺はインビジブルで姿を消してしまうのが当然の体なのだ。
見えない人間があるいて居ただけなんだ。

「なんで・・・・どうやって・・・・」

「?・・・・何を不思議に思う。見えんだけで、"お前は生きているだろう"」

なんだ。
どうなっている。
今、
何が起こっている。
立て続けた。
お前らには分からないだろう。
俺以外の全ての人間には。
ただ、
俺が言って欲しかった言葉が、
次々と彼の口から発せられるのだ。

「生きているなら呼吸もする。体温もある。空気は揺れる。何かを消費し何かを得る。
 人は生きると過程を産む。何かを望み、何かになるために、知らず知らずと足跡を残す」

この人にとっては、
俺など小耳に挟んだ程度の不可思議な存在なのだろう。
見えない、
存在しているかいないかで、偶然存在していた程度の存在なのだろう。
だけど、
俺はこの人を知っている。
否。
マイソシアで知らない人間の方が希少だ。
矛盾のスサノオ。
最強。
ロウマ=ハート。

「じゃ・・・じゃぁ何か?ロウマ・・・ハート。あんたはこの街中で。人が生きて当然のこの世界で・・・
 そんな最中で・・・俺の気配・・・・生きている足跡を見つけ出したっていうのか?」

それも、
偶然。
別に俺を探そうとも何もしていなかったのに。

「単純な結論からすれば、文字通りで言葉通りだ。お前の足跡に気付いたからだ」

足跡?
確かに俺から離れて時間が立てば足跡くらいあるだろうが、
それ以上に、
街中で足跡など残るものか?
残ったとしてそれがなんだ。
足跡を見つけた時には俺はいないし、
俺の足跡なんてものが他と区別できるわけがない。
それにそれ以上に俺なんて存在の痕跡を見つけられるわけがない。

「インビジブルだからな。足が地面に付けば身に着けた物と同じようにわずかに消える」

・・・・冗談にしか聞こえない。
地面がわずかに足の形に切り取られたのを確認したというのか?
街中の一片が、
光も反射しない透明な1mmのガラスだとして、
それに気付く人間がいるか?
影も光もない、陰影なき足跡。
それを見つけることが、
見つけようとも思っていないのに気付く者がいるというのか?

「あんたは・・・・」

有りえない有りえない。
有りえない。
街中に、
色も変わらない。
影もつかない。
光も反射しない。
何も変わらない。
見えない足跡があって、
それにふと気付くなんて・・・・

「俺が見えるのか?」

「どうかな。難しい質問だ」

無表情。
怒っているかのようにも見える無表情。
だが、
感情は伝わる不思議な面持ちだった。
ふと笑った気さえしたからだ。

「見えるという言葉のままならば見えない。だがお前はハッキリと分かる」

「あんたは・・・・」

世界で初めて・・・

「俺を認識してくれた・・・」

初めてだ。
街中で声をかけられたなど。
それ以上に、
俺からじゃなくとも人に認識されたことなど。

「ありがとう」

ただの偶然。
それだけの出会いだ。
それだけで、
俺は救われた気がした。
ただの世界最強に会えた奇跡。
世界で最強の幸せをくれた。

「俺は一つ、今の自分を這い出れた気がした。こんな素直な言葉を放つのも初めてだ。
 俺はあんたを心に刻むよ。陰ながら、影も出来ない存在ながら応援する」

「あぁ。このロウマとて、面白い出会いだった」

彼が行ってしまうのを引き止めたくなるような、
そんなカリスマ性を持っていた。
だが、
満足だった。
もう死んでもいいと思った。
俺は、
人生で一度も手に入れたことのない経験を得た。
普通の人間の日常とやらを経験できたような気がした。

「・・・・あぁ」

だが、
行ってしまう前に、
彼の方から振り向いて声をかけてくれた。
日常という世界最高のものが、
あとほんのひと時続いてくれる幸せを、
彼はくれた。

「今、お前は・・・・今の自分を這い出れたと言ったが。どういう事だ?」

「聞いてくれるのか?俺の話を」

いつまでも話していたい気分だ。
目の前には世界最強。
対等などではサラサラないが、
対等に話が出来るなどという事は人生で初。
俺は世界で一番穏やかな気分だった。

「恥ずかしい話だ。俺は日常を手に入れたかった。こんな体だからな。
 普通じゃなくていい。人間の下の下でもいい。人間として最悪の生活でもいい。
 ただ、俺は、通常の人間というものを味わってみたかった。それは俺よりは上だからだ。
 だから今のあんたとの出会い。この時間。俺は少しだけ自分を這い出れた気がした」

こんな話をしたが、
彼には同情とかそういう言葉をかけて欲しくなかった。
ただ言葉を交わす。
認識しあって。
そんな素晴らしい時間があればよかった。

「お前は」

ロウマ=ハートは、
欲するものを全てくれるかのように言葉を返してくれる。

「自分を越えたいのだな」

「あぁ。越えたい。普通になりたい。そのために我武者羅だ。
 自暴自棄になる事もしょっちゅうだが、その希望だけは変わらない」

本音だった。
それに、
彼は答えてくれた。

「気に入った」

そう言ってくれたのに、
やはり彼は無表情で、
その無表情には表情がありありと出ている。

「このロウマ。その考えが好きだ。人は何かを超えるために生きるんではない。
 自分を越えてこその人生だ。自分を越える以外に強くなる方法はないからだ。
 誰かを越えても、誰かを倒しても、それはイコール強くなったとは言えない。
 自分を打ち倒してこそ、120%の先に強さがある」

「俺の120%の先は人間の底辺の通常だがな。それでもあんたの言うとおりだ」

気に入ったという言葉だけで、
胸が張り裂けそうに嬉しかった。
いや、
張り裂けていたかもしれない。
だけど自分の体も見えないから分からない。

「付いてくるか?」

多くは語らなかった。
その言葉だけで、
おおよその意味は伝わった。
伝わったけど、
訳が分からなかった。
意味だけ伝わって理解できなかった。
まるで俺の存在のように。
いや、俺の存在だからこそ。

「決めるのはお前だ。お前の人生なのだから。だが、このロウマ、お前に力を貸す事は出来ないかもしれない。
 それでもお前が付いてくるというのならば・・・このロウマ。自らと戦う居場所だけは、お前に提供しよう」

何故?
分からない。
今たまたま出会っただけだ。
あんたは俺がどんな人間かも知らない。
顔も知らない。
姿も見えない。
それどころか癖も分からず、
性格も知らない。
強さも知らなければ、
実力も知らない。
そんな自分を、
何で無闇に誘う。

「自らを越えようと努力してきた者に、弱きものなどいない」

問わなくても、
彼は答えをくれた。
だから、
あとは俺が答えるだけだった。

「あんたには・・・・俺が見えているんだな・・・・」

全て見透かしている。
透けた体の俺の、全てを見透かしている。
・・・・。
なんてズルい人間だ。
これが世界最強か。
決めるのは俺だって?
酷い。
なんて矛盾だ。
矛盾の王に相応しい。
俺が決めるなんていう完全なる自由意志を与えていながら、

俺の答えは一つしか用意されていないんだから。

「俺を見つけてくれた初めての人間・・・・なら・・・俺はあんたをずっと見ていたい」

影も出来ない透明な生活だった。
だけど、
この大きな男の影で隠れるなら、それも悪くないと思った。

そしてせめて、
あんたの背中の影の大きさまで、俺は人として大きくなりたい。



































「見える。見えるぞ」

スモーガスは音を殺して笑った。
いや、
殺す必要もないので、
笑い声も次第に大きくなる。

「見えない世界の中だと俺はあまりにも一般人だ!誰もが平等なんだからな!
 だが・・・・そこでものをいうのは経験だ。俺には分かるぞ。お前の位置が!」

小難しい理屈もあるが、
それ以上に簡単だった。
マシンガンを乱射しているマリナ。
一端逃げたかと思ったら、
そんな目立つ行動に出ているとは。

「もちろん、その行動の真の意味も捉えているさ。"見えない真理"。俺はそうやって生きてきたんだから」

誰にも見えないから、
誰にも認識されないから、
全ての人間はスモーガスの事など気付かず、
平気でスモーガスの前で世間の陰口を叩いていた。
人の見えない部分も誰よりも見てきている。

「裏側ばかり見てきた俺にとって、人間の心理の裏側ほど見えやすいものはない。
 だが表側も軽率にしては駄目だ。あのマシンガン自体も危険ではある」

だからそっと。
そっと近づく。
それだけでいい。
懐には他愛も無いダガーが一本。

「あのマシンガンで辺りを探り、仲間へ知らせ、さらに攻撃を兼ねている。
 実際面倒ではある。乱射ほど不可解で避けにくいものはない。
 慎重になれ。慌てなくていい。それだけで・・・・俺はいつものように認識されない」

認識されない事は哀しいことだ。
だが隊長は言っていた。
己を越えろと。
それはつまり、
己を捨てるでなく、己を受け入れろということ。
自分のこの能力は、
不幸でありながら自分にしかないもの。

「自分の顔さえ見たことない俺が言うのもなんだが・・・・己を知るべきだ。
 自分の能力は分かっている。俺だからといってこのインビジブルの世界は俺にとっても不可視。
 故に、戦場になるここら一帯はすでに調査済みだ。目を瞑っていても歩ける」

自分の姿など見えないのに、
それどころか、
この町並み全てが見えない、
何もかも見えない世界であるのに、
スモーガスは障害物を利用し、
陰に隠れながら、
少しずつマリナに近寄っていく。

「着眼点はいい。攻撃と守りと把握と連絡。全てを兼ねたそのマシンガンの乱射。
 だがそれの裏側を行くのが俺の人生だった。お前、マシンガンでインビジブルを解除してるな?
 弾痕程度の一瞬の解除。それで周りを把握しているつもりだろう。いや、実際にしている。
 だが、それは逆に隠れし俺をさらに隠してくれている。落ち葉を隠すなら森の中」

透明なものを隠すなら透明の中。
そして、
逆に、
見えるものを隠すなら見えるものの中。
スモーガスの小さな動作。

「ディテクション。俺自身もライター程度の灯り。ちっぽけな可視行動を起こしながら進んでいるのさ。
 お前のマシンガンの着弾は、俺の小さな小さなディテクションをも誤魔化してくれている」

結局はこういう事だ。

「お前は見えていない。すぐ傍にいるのに」

スモーガスからはマリナが見えていて、
マリナからはスモーガスは見えていない。
視えていない。

「そのマシンガンの強烈な音も、俺の放つ小音を隠してくれる」

だがスモーガスは注意を怠らない。

「サムライ」

見えない世界で、
見えない方向に目線を向ける。

「奴の方も大丈夫だろう。俺の仲間が煙を張ってくれている。
 通れるのに見えるのに・・・・通れない見えない。そんな最強のバリアだ。
 通ってくれるならありがたいし、そのまま死んでくれればいい」

そして、
最悪煙を突破されたとして、
スモーガスの位置を把握する術はない。

イスカは未だ、他の仲間と本物のスモーガスを区別する術さえない。

どちらにしろ、
スモーガスに到達する前に仲間と遭遇する。
その戦闘音を最終防衛に考えていれば、
スモーガス自身がイスカと遭遇することは決してない。

「隊長。本当に感謝してる。誰にも認識されていなかったこの俺が・・・
 44部隊という居場所を手に入れただけで誰もが認識してくれるようになった。
 そして理由は様々とて、天下の44部隊の俺に、人は群がった」

今までは見られてもいなかったのに。
本当の意味で、
誰もの眼中にもなかったのに。
人は集った。
そして、
褒め称えてくれるものや、
共感し敬意を表してくれるものさえいた。

それがスモーガスの仲間達の正体だった。

「44部隊は個人主義の部隊ゆえ、俺ぐらいだがな。群がる人間を受け入れるのは。
 ・・・・・だが許してくれ。人とのふれあいなど、俺の人生には無かったんだ」

それは暖かすぎた。
誰も見向きもしない。
気付いてもくれない。
だから、

自分が存在しているのかも危ぶまれていた。

それなのに、
声をかけられたのだ。

「俺の希望はただ一つ。人に認識(みとめ)られたい」

この時点で、
スモーガスの行動は全てにおいて慎重で、
それでいて無駄もなく、
穴も無かった。

ただ、
スモーガスは不可視(見落とし)ていた。

状況だけを言うと、
すでに負けに等しくもあった。

それも仕方が無い。
現時点の敗因としては、見えない敵にやられたものだったからだ。

それはアレックスだ。

WIS(電話)をかけただけ。
アレックスはそれだけのことをしただけだ。
ただこの時点だけで言うならば、
スミレコを味方につけることでWISが可能になったのは、
それはそれだけでこの戦況に多大な影響を与えただろう。

スモーガスの戦いにおいて、
"WISオーブが無いというのは致命的だった"

先ほど破壊してしまったWISオーブ。
仲間との連絡が可能であれば、
今の状況はどれだけ有利であったか。

"イスカが煙を切った"などという情報は、
一切スモーガスに伝わってこない。
仲間にとってもスモーガスにも不可視であり不可侵の領域。
伝わりようがなかったのだ。

アレックスの一本の電話は、
スモーガスを見えないところで追い詰めていた。
この時点での敗因はアレックス(見えない敵)。
そう言って差支えがないだろう。

もちろん、
スモーガスがWISオーブを破壊した事自体は間違いではない。
最善の選択だっただろう。
WISオーブを残していた方が追い詰められていただろう。
だからこそ、
アレックスの策略はあまりにも効果的過ぎた。
最低限の被害なのに、
インビジブルの世界で情報不通。

アレックスのWISはどう転んでもスモーガスに致命傷だったのだ。

「終りだ」

それでも、
なおスモーガスが有利であったのは勝因だろう。

乱射し続けるマリナ。
その弾丸の当たらない物陰・・・・
といっても陰などない不可視の世界の陰から、
ダガーを握り締める。

「忘れてはいないだろ。忘れているならばそれこそ願ったりだ」

それは・・・・
過去の思い出。
ペパーボム。

「貴様はこのダガーの傷一つで、ショック死にも至る致命傷を得る」

だからこそ勝因だ。
敗因は揃っていたが、
全ては間に合わなかった。
今更イスカは間に合わない。
そして、
マリナが気付くには遅すぎた。

「俺が・・・・見えないのか?」

わずかな動作。
無鉄砲な弾丸が近くを通過していく中。

「すぐ傍にいるのに」

それは、
わずかながらのディテクション。
インビジブルの世界の中ではスモーガスにとってもそれは必中ではなかったが、
3度のディテクションにより、
3度目のディテクションがマリナに効果を発揮した。

だが・・・・

「認識(み)えないんだな・・・・やはり・・・・」

スモーガスだからこそ・・・・理解しているからこその策略だった。
マリナはディテクションをされた事さえ気付かなかった。

人はどうやっても背中が見えない。
それを越える真理。
毎日鏡を見てきた自分だからこそ分かる。

「人は"何"で何かを見る?・・・・・簡単だ・・・・・人は"自分の目で自分の目は見えない"」

スモーガスがかけたディテクションは、
マリナの頭部。
頭部だけだった。

だからマリナは自分がディテクションをかけられことにさえ気付かなかった。

「まるで生首が浮いているような光景だな・・・・フフッ・・・」

マリナは、
自分の頭部など見えないからこそ、
自分がディテクションで頭部が丸出しになっている事に気付かなかった。
不可視の世界で、
あまりにも目立つ可視なる頭部。

「・・・・・・・・・・・ビジョンが見えないからインビジブルなんだぜ・・・・」

スモーガスはダガーを握り締める。
そして、

「もう・・・隠れる必要もない」

隠れたくなくても隠れた人生。
彼はそこから這い出る。

「消えてなくなれ!!!」

隠れる気はサラサラない。
声を隠さない。
音も隠さない。
マリナの居場所は完璧に分かる。
スモーガスは、
我武者羅にマリナに向かって走った。

「・・・・な?何!?」

マリナがやっと気付く。
辺りを見渡す。
自分の頭部だけが可視状態になっている事も気付かない。
この世界で唯一の可視状態になっている事に気付かない。

だが、
マリナからスモーガスは見えない。

「どこよっ!!!」

マシンガンを乱射しながら、
マリナはスモーガスを探す。

「俺の居場所(音)の方角を完全に感知するまで2秒!狙いを付けるまでに1秒!
 どう足掻いたって無駄だ!覚悟を決めた人間は何も怖くない!」

流れ弾か、
はたまた喰らい際の反撃か。
それをマリナから食らう覚悟も出来ている。
それでもいいからマリナを倒す。
スモーガスはその覚悟で飛び出した。

「こっちの方!?」

マリナがおおよそ、スモーガスの方向に予測を立てるまでに2秒。
スモーガスの言葉通りだった。

「何もかもは遅い!!!!」

そしてその通りだった。
マリナの反撃は間に合わない。
イスカが居たとして、
そのフォローも間に合わない。

インビジブル。
否定の意味でなく、
入るという意味のインであれば、
スモーガスは彼だからこそ・・・・・ビジョンの中に生きる戦士だった。

ただ自分自身は見えなかった。
それが彼を強くした。

「!?」

スモーガスは動きを止めた。

何かが、
自分に、
何かをしてきた・・・・・・"わけでもない"

だが何かが起きた。

もちろん、
何も変わらなかったし、
何一つ変化などという言葉は存在しなかった。

ただ、
何かが自分を吹きぬけた感覚があった。
何かが自分を通り過ぎた感覚があった。

何かも分からないし、
スモーガス自身に異常は何も無かった。
ただ、
スモーガスは動きを止め、
その風下を見た。

「・・・・・・・・な・・・・」

イスカが居た。

「・・・・んでだ・・・・・」

居たというだけだ。
やはり遠い。
そして、
自分が何か被害を受けたわけでもない。

世界は何も変わらない。

ただ、あまりにも問題なのは、
その遠き場所に居るイスカが・・・・・・

"見えるからだ"

この不可視の世界で。

「どうなって・・・・」

それだけではない。
イスカからその先。
地面を地続きに進み、自分。
そしてマリナ。
通り過ぎて向こう側の景色まで。
すべて見えていた。

有りえない。
有りえない。

何一つ危害を与えられたわけでもない、
世界も何も変わらない、
が、
それでもただ、
絶望的に有りえない。

「馬鹿な・・・・」

それは、

「・・・・イ・・・・」

スモーガスの脳思考を刹那停止させるのに十分な現象だった。

「"インビジブルを斬った"だと!?」

彼方に、
剣を振り切ったイスカ。
そこから対角線。
地を這う地面。
イスカから光が放っているかのように真っ直ぐ。

何も見えていなかった世界に亀裂が入っている。

世界が割れた・・・・の逆。
まるで何も無かった世界にファスナーが開いたかのようだった。

イスカを起点に、
真っ直ぐ。
そこだけ見える世界。

イスカの正面だけ、
地面も空気も見えていて、
その可視なる世界はマリナとスモーガスを包み、
さらにその先まで。

「お主を判断するまでには適わなかったが・・・・・」

イスカが剣を振り下ろした状態で。

「守りたきマリナ殿を判別することは容易い」

どれが本物のスモーガスか判断する必要はない。
イスカにとって重要なのは、
"マリナを守る事だ"
マリナ本人のすぐ傍でマリナを襲おうとしていたのが、
スモーガス本人だったというのはあくまでただの結果論。

イスカがマリナを間違うわけがない。

「だ・・・・から・・・・・」

スモーガスはダガーを握り締める。
見えない歯を噛み締める。

「だからなんだってんだ!!今までの人生と同じだ」

少し驚かされただけだ。
何も。
何も変わってないじゃないか。

「それでも俺は存在してるんだよぉ!」

「みぃーつけた♪」

真横で。
女王蜂が微笑んだ。

「材料が見つかれば・・・・料理するだけよ」

刹那だけで良かった。
刹那だけスモーガスが止まれば。
いや、
止まらなくてもいい。

マリナがスモーガスの位置も認識できれば・・・・
それでもうイスカはマリナを信じきっているのだから。

「料理は・・・・」

女神は、
ギターを向けた。

「おいしくね」

重火器の先端が、
光った。

































「お前はなんで顔を隠してるんだ?」

たまたま廊下で会ったのは、
うちの副部隊長だった。

「シュコー・・・」

返事には困った。
なんで?
と聞かれて理由を答えるなら、
見えないからだ。

だが、
それを答えてしまうと、
自分がどうしようもなく普通に人間じゃないような気がする。

見えないものを、何故隠す。

「いや、隠してるからにはそれなりの理由があるんだろう。悪い事を聞いた。
 ただインビジ使いなのにインビジ以外のモンで隠そうとするのが気になってな」

インビジ使いか。
基本的に世間にはそう通っている。
インビジ人間なんてこの世に存在しないからだ。
俺は存在しない人間。

それにしてもインビジ使いか。
使っているわけでもないのにインビジ使い。
正しくは病気と一緒でインビジ持ちとかそんなもんなのに。

「まぁいいんだ。部下の顔も知らないんじゃぁ何よりじゃないからって、それだけだったんだ」

そう言い、
副部隊長は軽く手を振り、
廊下を過ぎ去っていった。

部下の顔も知らないんじゃ・・・・か。

あんたは別に気にするほどでもないさ。
なんせ。
俺は俺の顔も知らないんだから。

・・・・今日も鏡を見た。
そこには何も無かった。
俺という存在がいるのかいないのか。
それを今日も確認できなかった。

鏡よ鏡よ鏡さん。
何故姿を映してくれない。
自分の姿が映らないなら、
この鏡を持っている俺の手はなんなんだ。
俺は、
何から何まで存在を否定されているのか。

哀しかったし、
虚しかった。

だが、
それでも最近は思う。
見えないだけ。
だけ。
それだけなんだ。

ただ見えないだけ。
居ないのと同じに見えるだけ。
それだけなんだ。

俺は・・・・・

何も変わらず、しっかりと存在している。

クソもするし、
飯を食うし、
そうしたら眠くもなる。

普通の人間なんだ。見えないだけで。

だから、
だから、
誰かに気付いて欲しかった。

声を出すしかなかった。

俺はここに居るぞ。
俺は、
見えなくたって、
しっかりここに居るんだ。

「ユ・・・・・ベン」

過ぎ去っていく副部隊長を、
スモーガスは呼び止めた。

「呼び捨てか?」

冗談混じりの笑顔で、
副部隊長は振り返った。

「・・・・ユベン・・・副部隊長」

「あーいい。気にしなくたって。・・・で?」

「コォー・・・・」

俺は・・・

「俺は・・・44部隊に居るからには・・・自分と戦っている。皆と同じでだ・・・・」

話の合間に、
ガスマスクから吐息がこぼれる。

「シュ・・・コ・・・・だけど、それは強さでもなんでもなくて・・・・だが、俺がどうしても成りたいものだ。
 半ば不可能なんだが、それでも諦めきれない。俺はソレになるまで・・・今の自分は見せられない」

見せられたもんじゃない。
俺は、
この体が大嫌いだ。
だから、
絶対に打ち勝って見せる。

「だから・・・・・いつの日か・・・・そう成れた時に・・・・・マスクをとります」

俺は、
44部隊に入って変わった。
居場所を手に入れて変われた。

今までも希望はあった。
変わらぬ希望だ。
だけど、
それは希望だけだ。

希望を目指すようになったのは・・・・それは大きすぎる変化だった。

「そうか・・・・それは何よりだ」

いきなりするような話でもなかったが、
副部隊長は落ち着いて返してくれた。
そして、
やはり彼もロウマ=ハートに魅入った男なんだろうと思った。

「それなら、上司として・・・・・お前を見届けてやるよ」

見届けてやる。
他愛もないその言葉は、
なにやら物凄く・・・
物凄く・・・
スモーガスには新鮮で、
そして、
決意をさらに断固にするには十分だった。


あぁ。
今から楽しみでしょうがない。
今のところこの体の解決策など微塵もないが、
きっと俺は希望を叶えるだろう。

鏡の前で、
哀しい思いをせずに笑える日が来るだろう。

あぁ。
今から楽しみでしょうがない。


俺は・・・・・




いったいどんな顔で笑うんだろうな。



































「あ・・・・が・・・・・」

現実に戻ると、
俺は血まみれで横たわっていた。
血まみれ?
自分の血さえ見たことないから、
血まみれなのかさえ分からない。

だが、
この痛み。
血まみれに違いない。

「ぐ・・・・」

街中は元通りだった。
どうやら攻撃を受け、
インビジブルが解除されてしまったようだ。

「なのに・・・俺自身は見えないまま・・・か・・・・皮肉・・・なもんだ・・・・」

吹っ飛ばされたようだ。
数歩先には、
美しい女王蜂が、
ギターの突き出してこちらを見ていた。
痛みの感覚からいえばショットガンか。

「それでも俺は存在(い)きている・・・・」

なら立たなければ・・・。
痛みを堪え・・・
左腕を支えに起き上がろうとする。

「う・・・ぉ・・・」

そうすると、
強烈な痛みと共に、
体は逆に地面に崩れた。

「・・・・・ねぇのかよ・・・・・」

自分の体さえ見えないから分からなかった。
全身に走る痛みのせいで分からなかった。
どうやら、
左腕は吹っ飛んでいるらしい。

「自分の状態も分からねぇなんてな・・・・思えば・・・・医者にかかることさえ適わぬ人生だった・・・・」

どうやら残っているらしい右腕で、
体を探る。
そうしないと分からないからだ。
・・・・。
体自体は残っているようだ。
といっても、
ショットガンを直撃で喰らい、
半分以上・・・
いや・・・
8割がた潰れていた。

「げほ・・・がっ・・・」

見えない吐血。
それでもスモーガスは、
右腕を支えに立ち上がった。

「生きてるみたいね」

女王蜂が、
ギターを向けたまま言った。
だが、
真っ直ぐこちらを見ていない。

あぁそうか。
こんな慢心相違だ。
俺はインビジブルをコントロールする余裕さえなかった。
今は普通のインビジブルと同じ。
全身衣類ごと消えているのか。

「駄目だ・・・一度・・・・」

逃げないと・・・・
全身に強烈な痛み。
どうなってるんだよ。
見せてくれよ。
傷はどんなもんなんだ。
ほんとは胴体が無くなってるんじゃないか?

「くそ・・・くそっ・・・・」

それでも、
どうやら動くらしい体で、
スモーガスは逃げ出した。
恥ずかしげも無く、
体を翻し、
走った。

「俺が・・・見えないのか?・・・・」

そう呟きながら、
コントロールも聞かない体を引きずるように走る。
徒歩程度の速度しかでない。

「なら・・・俺は俺が見えているのか?・・・・」

逆に、
見えないのが幸を奏したかもしれない。
多分、
恐らく、
内臓が外に出ているような致命傷だ。
見えなくて助かったと思ったのは初めてだった。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

背後で銃声が何度か聞こえた。
あの女王蜂のものだ。
だがそれは運良く背中に3発ほど受けただけで済んだ。
3発ほど受け、
前のめりの倒れ、
ベチャリと音を立てながら地面に転がる程度で済んだ。

「見てくれよ・・・・」

それでもスモーガスは立ち上がった。

「それでも俺は生きてるんだから・・・よぉ・・・・」

とにかく逃げた。
逃げた。
俺は生きてるんだから。
見えないだけで、
ちゃんと存在しているんだから。

街角を何度か折れ、
見えない大量の血液を垂れ流しながら。

たまにドチャリと音をたてて落としたものが、
自分の大事な内臓部でない事を祈りながら、
スモーガスは逃げた。

「まいた・・・か・・・・」

どうやら追ってはこないようだった。

「俺を・・・見逃した事が・・・どれだけの事・・・・か・・・・教えてやらないとな・・・・」

強気な言葉を放ちながら、
すでに支えることもままならない体は、
民家のドアに倒れかかり、
そのままドアごと転がり倒れた。

「・・・・あ・・・が・・・・」

体がいう事を聞かない。
どれだけ血が流れたんだろう。
分からない。
血さえも自分で確認できない。
きっとまだ大丈夫だ。
致死量はこえてないはず・・・・と、
見えないことをいいことに、
自分にいい聞かせた。

「WIS・・・は・・・・」

右腕で体を弄ってみたが、
見当たらない。

「あぁ・・・壊したんだった・・・・」

これじゃぁ連絡もとれない。
最悪敗走でも、
スミレコの情報だけでも伝えておかなければ・・・
そう思ったが・・・・

「・・・・・どうしたもん・・・か・・・」

負けて、
持ち帰るものさえない。

「隊長と・・・ユベンに合わせる顔がない・・・」

自分で言って、
笑ってしまった。
血液とともに、
噴出してしまった。

合わせる顔がない?
こんな皮肉があるか。
俺のどこに顔があるっていうんだ。

「・・・・・」

そして、
それでも思う。

「それでも・・・・顔はあるんだよ・・・」

見えないだけで。

「ユベンに・・・・まだ見せてやってねぇけど・・・・」

「オジちゃん?オジちゃん大丈夫?」

敵かと思った。
臨戦態勢になど入れない状況だったが、
それは違った。

転がり込んでしまった民家の中の、
その子供か。

「オジちゃん酷い怪我をしてるの?大丈夫なの?」

まだ非難していないようなガキがいたとは。
だがこんな奴の相手をしてる場合じゃない。
とりあえず一度戻らなければ・・・
じゃないと死ぬ・・・
それだけは間違いない。

「・・・・坊主・・・俺は大丈夫だからどっか行け・・・パパやママのところにでもよぉ・・・・」

こいつのせいで、
あのサムライと女王蜂に見つかったら、
どうしようもない。

「パパとママはいないよ・・・逃げちゃったから・・・・」

・・・・。
本当に腐った世の中だ。
戦争の主要人物が言うべきではないが、
戦争が始まったからといって子供放って逃げる親など・・・・

「偶然じゃぁないんだ。パパもママも、僕が足手まといになるの知ってたから。
 だから置いて逃げたんだ。んーん・・・きっと昔から捨てたかったに違いない・・・」

どこも・・・
似たような家があるもんだな。
そう思えば、
自分の人生も、
やはり一つの普通の人生だったように・・・

「!?」

気付き、
スモーガスは、
転がった状態で、
そのガキを見た。

「坊主・・・・お前・・・さっきから・・・」

すがるように・・・・

「俺が・・・・見えているのか?」

今、
自分の体はインビジブル状態だ。
見えるはずがない。
なのにこのガキは、
当たり前のように自分にかけよってきた。

「んーん。見えるわけないよ」

「だが・・・怪我がどうこうって・・・」

「それも分からない。でも匂いとかが・・・」

あぁ・・・
そういうことか・・・。
そうだな。
見えないだけで、
俺はちゃんとここにいる。
存在してるんだから。

「だって僕、生まれてからずっと。目が見えないんだ」

目が・・・・
見えない?

「だから、パパもママも僕が面倒くさくなって逃げちゃったんだ」

目が・・・
見えない?
見えないって。
見えないというのは・・・・

「でもオジちゃん。俺が見えないのかってどーしてきくの?
 僕が目が見えないって事知ってたからなの?知ってたならなんでそんな事を聞くの?」

なんて、
純粋無垢な質問だろう。
このコは、
本当に自分の事が見えないんだ。

自分と真逆。
世界の何よりも真逆の存在なのに・・・。

「俺と同じ・・・・」

同じ存在が・・・・居ただなんて・・・。
見えないのなら、
皆見えなくなってしまえばいいのに。
そう思っていたが・・・・

「坊・・・主・・・・」

スモーガスは手を伸ばす。
盲目で育ってきたからこそ、
その気配も分かるのだろう。
少し子供は怯えていた。

「オジ・・・ちゃんは戦争で少し・・・怪我をしすぎた・・・・ちょっと病院に行ってくる」

「戦争で!?大丈夫なのオジちゃん!?」

「あぁ・・・大丈夫だ・・・・大した傷じゃない・・・」

左腕がないのに。
体は8割がた潰れているのに。
スモーガスはそう言った。

「それならいいけど・・・・」

子供はそれを信じた。
判断する術がないからだ。
スモーガスは・・・
体を起こした。

「お前に会えてよかった・・・・」

スモーガスはそう言い、
出口の壁に体を預けた。

「坊主・・・よく聞け・・・お前は自分が不幸だと思ってるかもしれないが・・・・そうじゃない。
 お前は・・・見えないだけだ・・・・何もその目で見えないだけで・・・・世界はちゃんと存在している・・・・・」

誰に言っているんだろう。
自分は。
自分にじゃないのか?
真逆の事を、
真逆であり、
そのままの事を、
自分に言ってるんじゃないのか?

「絶望だけはするな・・・・前を見る目がなくても・・・・・前には・・・・進めるんだから・・・・」

そう、
目の前の子供に言い放ち、
スモーガスは、
その場を後に・・・・

「オジちゃん」

子供はやはり怖かったのだろう。
震えるような声だった。
だったが、
震えるような声でスモーガスに声をかけた。

「オジちゃんは、笑うのヘタクソだね」

・・・・・。
スモーガスは、
フラフラと、
その、
驚きの言葉を辿るように、
振り向いた。

「お前・・・・・」

すがるように。

「俺が・・・・見えているのか?・・・・」

子供は笑った。

「んーん。なんでそんな事何度も聞くの?僕は何も見えないよ。
 でもなんとなく雰囲気で分かるんだ。オジちゃん笑うのヘタクソだね。
 笑うの練習した方がいいよ。鏡の前でとかでさ」

・・・・。
あぁ・・・・
そうか。
そうらしいぞ。
全然知らなかった。

俺は・・・・笑うのがヘタクソらしい。

そうか。
そうだったのか。

この子は、
俺が見えているんだな。
この子にとっては、
世界の全ての人間が同じなんだな。
俺と、
他の人間の区別さえないんだな。

俺が・・・
見えているんだな・・・。

「・・・・そうか・・・・帰って・・・練習してみるよ・・・・」

本当はいつも、
毎日、
鏡を見ていた。
自分の映らない鏡を。

それ自体無駄だった。
映らないし、
笑顔が出来ても誰にも見えないのだから。

だけど、
この子の前では・・・・

「じゃぁな・・・・坊主・・・・」

ちょっと、
格好を付ける意味さえあるんだな。
俺は。

俺を・・・・見てくれてるんだから。

フラフラと去りゆくスモーガスの背中に、
微笑ましい子供の声が響く。

「やっぱりヘタクソ」

そうか・・・・
ちゃんと練習しておこう。
もうちょっとうまく笑えるように。









「眉毛のカットも・・・してみたいな・・・・」

フラフラと・・・
スモーガスは、
死にぞこないの浮浪者のように、
事実死にぞこないの体で、
ルアスの街中で、
体を引きずった。

「帰ったら・・・・鏡を見てみよう・・・・きっと俺は・・・カッコいいんだろうな・・・」

朦朧として、
もう意識も、
思考も定かではなかった。

でも正しい。
初めて自分を目視してくれる人がいた。
それは盲目の子供だった。

俺は、
あの出会いで、

見える普通の人間になったのだ。

「何が・・・・笑うのヘタクソだ・・・・・次に見せてやるぞ・・・・・見て・・・やがれガキめ・・・」

フラフラ歩きながら、
ふと横を見る。
民家の窓ガラス。

もちろん、
そこには何も映っていなかった。
だが、
それを無視して、
スモーガスは歩む。
体を引きずる。

「そうだ・・・やっと成りたいものに成れたんだ・・・・ユベンに見せてやろう・・・・
 約束だったからな・・・・ガスマスクの下の顔・・・・驚くかな・・・・」

そこで、
スモーガスの体はドタンと地面に落ちた。
見えないから分からない。
それだけだったが、
すでに内臓は2割ほどどっかに落っことし、
血は致死量を遥かに上回って垂れ流れていた。

「母さんと・・・・父さんにも・・・・会いに行こう・・・・俺だって分かるかな・・・・
 初めて見る息子の素顔だからな・・・・気付かないかもな・・・・信じれないかもな・・・・
 フッ・・・フフ・・・・息子の顔も忘れたのか?・・・なぁーんて言ってやったりして・・・・」

目が・・
閉じていった。
体はすでに、
全く動かなかった。
体温は30度を下回り、
意識は無くなっていった。

「・・・・あぁ・・・・早く・・・早く・・・・誰か・・・・・」

そして、
スモーガスは、
そこで・・・

「俺を・・・・見てくれよ・・・・・」

すぐ傍に・・・いるんだから・・・・・
言葉を最後に、
息絶えた。

路上の真ん中。
彼は息を引き取った。

哀しくも、
虚しくも、
神はあまりハッピーエンドが好きではないようだ。
死してなお、
スモーガスの体はインビジブルの鎖から解放されることはなかった。

見えない死体が、
路上に転がった。

誰にも認識されない人間。
それは、
存在しているのか?
存在している意味はあるのか?
生きていると言えるのか?

分からない。

それと相対するように、
彼の死体は、
誰にも発見されることはないだろう。

街中の片隅に、
誰の目に触れる事もなく、
ただ透明の空気と同じように、
ここで朽ち果てていくのだろう。

本当に存在しているか分からない人間は、
本当に死んだのかさえ、
誰にも判断できぬまま、終わっていった。

ただ、
その彼の死に顔は、
彼にとって改心の出来のつもりの・・・・・笑顔だった。

ただただ・・・

その笑顔はヘタクソで・・・・・・





































「追わなくてよかったのか?マリナ殿」

イスカはマリナに聞く。

「断言できないけど、どうやったってあの怪我じゃ生きて帰れないわ。
 無理にトドメを刺す理由なんてないわ。殺したいわけじゃないんだから」
「だが、致命傷を与えたのかも確信できぬのだろう?なんせ奴は見えないのだから」
「そうね」

それに対して、
マリナはハッキリと答えを返さなかった。
イスカはむきになるように言葉をつなげる。

「マリナ殿。殺したいわけじゃないなんて甘い事は言っておれん。それは偽善だ。
 拙者らはそれらも覚悟してここに来ているのだから。
 それらを踏み越えてまで手に入れたいものがあるからこそ・・・・」
「分かってるわよ」

スモーガスの仲間達も引き上げたようだ。
ここら一帯はもとの街のままだった。
見えないものなどないし、
煙にも包まれていない。
何もない世界よりも空気が綺麗な気がした。

「本人から離れれば解除もされるのね」

それは血糊の事だった。
先ほどまでスモーガスが居た場所。
ショットガンで吹っ飛ばしたところには、
大量の血糊が水溜りのようになっていた。
アレを見ただけで致死量だと分かる。

「はたまたスモーガスが死んだことによって解除されたのか。結論は分からんがな」
「どっちでもいいわ。私達は勝ったんだから」
「よくはないぞマリナ殿」

まるでムキになっているかのように、
イスカは噛み付いてくる。

「ドジャーがいつも言っておるだろう?大事なのは結果だ。拙者もそう思う。
 見えない結果に確証はない。本当に倒したのか確実にしておかねば」
「いいって」
「確かに周りから音はせん。敵は引き上げたのだろう。自害した者もいた。
 だが、引き上げたということはまた襲ってくるかもしれぬという事だ。
 そもそも・・・そもそもだ。マリナ殿が倒したのが本物のスモーガスだという確証さえない」

それは、
確かにそうだった。
認識できない敵が、
本物だったかなんて確証はない。

「もういいじゃない」
「駄目だ!拙者はマリナ殿を守らなければならん!絶対にだ!絶対に守りたいのだ!
 奴らの戦法的に、いつ、どこから攻撃を加えてくるかも分からん!
 ここで・・・この場で・・・・確実に決着をつけておかねばならんのだ!甘えは捨てるべきだ!」
「イスカッ!!!!」

マリナが急に怒鳴ってきた。
その言葉通り、
怒りを含んだような叱咤声。
イスカは驚き、
少し動揺した。

「・・・・マリナ殿?」
「分かったって言ってるでしょ。でも、分かってないのはあんたよ」
「?・・・何を言っておる。間違った事も言っておらん」
「そう思ってるなら、あんたは本当にどっかで間違っちゃってるわ」

間違っている?
何がだ。
いつもと同じ事を言ってるだけだ。

「確かに、あんたの行動はいつも通りよ。私のためだからこそ甘えを捨てている」
「そうだ。拙者はマリナ殿のために・・・・」

守るために。

「だけど一つ聞いていい?」

マリナが、
鋭い目つきで、睨むように、
イスカに言葉を放つ。

「あんたは・・・・"私を守りたい"のか・・・・それとも"敵を殺したい"のか。どっち?」

何を。
何を言っている。
何を聞いてきているんだ。
分からない。
マリナはどうしてしまったんだ。
自分に何を言っているんだ?
本当に、
理解不能だ。
そんなの・・・・

「同じことだろう」

イスカは、
ハッキリと答えた。

「拙者は不器用だ。剣の道しか知らぬ。だがこの剣に誇りをも持っている。
 だから、この剣をもってマリナ殿を守る。それだけだ」
「守るという事は相手を殺すことなの?」
「戦場で言う言葉ではないなマリナ殿」
「そんなの関係ないわ。無関係よ。私が聞きたいのは・・・・あんがどう思ってるか」

だから・・・・

「同じだ!マリナ殿に危険を加える者は排除せねばならん!
 いままでもそうしてきたし!今日、この時もそうなだけであろう!
 拙者の手にあるのは盾ではない!そうやってマリナ殿を守らなければならん!」
「分かったわ」

冷たいような声で、
マリナは言った。

「あんたの考え。よぉーく分かった。否定しない。私のためだものね」

分かってくれたようだ。

「あんたは私を守りたくて守りたくてしょうがない。
 どんな事を捨ててでも、第一に、ただ私を守りたい」
「うむ」
「私を守りたい。とにかく守りたい。あんたの大好きなマリナ殿を守りたい守りたい守りたい」

マリナは、
イスカから目を反らした。

「それは・・・・相手を殺したい殺したいって言ってるのと同じなのね」

分からない。
マリナが、
マリナが何を言いたいのかが、
イスカには分からない。

「あぁ。そうだ」

その通りなのだから。

「マリナ殿に危険が及ぶなら及べばいい。全て拙者が守ってみせるからだ。
 剣で道を切り開く。マリナ殿に認められたいし、マリナ殿に感謝もされたい。
 拙者は不器用だから、そんな生き方しかできん。だから」

殺させてくれ。
自分にはそれしかない。
マリナに危害を加える者を、
全て叩き斬る。
それしかないのだから。

守りつくすのと、
殺しつくすのは・・・・同意語だ。

「アスカ。あんた昔と同じ目をしてるわよ」

・・・・。
今、
なんと呼んだ?

「地面を這っていた殺人鬼。手当たり次第飲み込むしかない大蛇(オロチ)の目」

這って這って。
見つけた者をすべて丸呑みにする。
100人斬り。
『人斬りオロチ』

「空から落ちてるわよ。アスカ=シシドウ」
「そんな名で呼ぶな!その名は捨てたのだ!拙者はマリナ殿に名をもらった!
 もう地を這う大蛇ではない!空を知ったシシドウ=イスカだ!」

顔をあわせてくれないマリナに、
アスカは両手を広げて懇願する。

「マリナ殿!イスカと呼んでくれ!拙者はマリナ殿を守りたいのだ!
 守らせてくれ!守ってみせる!どんな危険からも!どんな・・・どんな敵からも!」

守りたい。
守りたい守りたい守りたい。
その守るという行動。
それは一択。

殺す。

危険を殺す。
敵を殺す。
害を殺す。
相手を殺す。
全て殺す。

守るには、
殺すしかない。
同意語だ。

この剣で、

「マリナ殿(敵)を守っ(殺し)てみせる」

真逆の言葉を、
同じように扱う・・・・人殺し。

「羽を失ってるわよ。アスカ=シシドウ」

こちらを向いてくれ・・・・。

ただ、
貴方を守りたいだけなのに・・・・。

「はぁ・・・・」

マリナはため息をついた。

「まぁいいわ。少なくとも今のところは私に危害はないし。
 私もあんたを守るって約束したしね。・・・・・・・・・付いてきなさい」

やはり目を合わせてくれなかったが。
マリナはそう入ってくれた。

「感謝する・・・・マリナ殿」

感謝する。
まだ、
自分に、
守らせてくれるらしい。

守れる。
守れる。

"守れる"

アスカは、
もっと"守れる"事を知ると、

嬉しそうに笑った。


































「匂いがしたね」

ピクッ、ピクッと、
耳が揺れる。
匂いと言っておきながら、
耳が動くのは、
当然それが自分の耳ではないからだ。

「フレンドの匂いだ」

彼の頭の上で、
ウサギの耳が揺れた。

「僕らと同じ匂いだぜ」

ニッと笑い、
彼は椅子から飛び降りた。

なんのことはない。
ルアスの古びた旅館。
廃旅館で、
シド=シシドウはその匂いに反応した。
口元が嬉しそうにウサギのようにω字になる。

「なぁーにが匂いだ。時にそんなもんあてにならねぇよ」

無精ひげの男が、
カウンターの上にあった灰皿にタバコを押し付け、
やれやれと自分の首元を撫でた。

「隊長達、時にどーしてんのかねぇ。指示もくれねぇでよぉ。
 俺達は暗殺家業だ。性質上、外門に到達する前のこのルアス街じゃねぇと。
 うん。時にそういう時間だな。入り組んだ街中じゃねぇと戦えねぇ」

シシドウ。
53部隊。
ジョーカーズ。
確かに、
見晴らしのいい戦場じゃぁ真価は発揮できない。
外門どころか、
城に到達する前の街中。
それこそ暗殺者の居場所。

「んじゃバッチ行こうぜ」

嬉しそうな声をあげるシド。
耳にイヤリング代わりにぶら下がったキーホルダー。
そのクマちゃんが笑うように揺れた。

「ぁあ?時にふざけんなよシド。何指図してんだ。
 隊長達の指示はまだ来てねぇだろ。待機。そういう時間だこれは」
「イージャン。隊長不在なら僕が副部隊長なんだぜ?
 さっさと僕は遊びたいんだ。フレンドとハッピーな時間をさ」
「時に馬鹿言うんじゃねぇ!てめぇの副部隊長は立場だけだ!
 ツバサもジャックもスザクも死んだこの時間、年長者は俺だ!
 このガルーダ様だ。辛抱して辛抱してやっと来た時間なんだよ!」
「んじゃジャンケンで決めようぜ」
「うっせ。時に近寄るな。俺をミスって殺しかねねぇ」

キッパリと指を突き出して、
ガルーダはシドを拒否する。

「時に焦る事はねぇんだよ。この街中こそ俺達の真価が発揮できるが、
 待てば待つほど少しは敵も弱る。弱ってからの時間でいいんだよ。
 俺が無理に頑張らなくてイイ。相手が勝手に頑張れなくなればいいんだ」

黒髪のパーマ。
無精ひげのガルーダが不敵に笑う。
それが彼のポリシー。
自分が努力などしなくていい。
周りが勝手に落ちていけば・・・・・・自分は上に立てるのだ。

「ニヒヒッ、でも僕、燻(XO)隊長に命令権もらってんだぜ?」

ニタニタと、
無邪気に、
ファンシーな格好をした殺人鬼が笑う。

「チッ」

それに関してはガルーダも逆らえなかった。

「ほほほほほ本当に行くんですか?」

廃旅館の隅。
隠れる場所でもないスミッコで、
怯えるように少年が一人。

「ああああいえいえいえいえ。年上のガルーダさんやシド副部隊長に楯突くわけじゃないんです・・・。
 僕如きクズ人間がそんなめっそうもない発言をしたわけじゃないんです。・・・・許してください。
 でででも。でもでも。戦いにいったら死んじゃうかも・・・イヤダイヤダイヤだ。怖い・・・・」
「ソーラー?僕らが行かなきゃ大事なフレンドが死んじゃうかもしれねぇぜ?」
「イイ!別にいい!ぼぼぼ・・・・・・・・・僕が死ななければ・・・・・」

そう最悪な事を軽々しくも言い放ち、

「ああいえいえいえ!違うんですよ!?ガルーダさんやシド副部隊長が死んでいいっていうわけじゃ!
 ただ死にたくないのは誰でも思う事で僕は悪くない僕は悪くない僕は悪くない・・・・
 ダメ人間のクズ人間だからしょうがない・・・しょうがいないんだ・・・いい・・・僕は悪くない・・・・」

この開き直った最悪は、
怯えるように拒否した。

「チッ・・時に面倒なガキだけ残ったもんだぜ。おいシド。シド!」
「なぁーんだよ。僕は副部隊長様だぜ?」
「おめぇは別行動だ。時に俺らまで巻き込まれちゃたまらねぇからな。
 おいソラ。てめぇは俺についてこい。分かったか?そういう時間を理解したか?」
「ヤヤヤヤヤヤヤ!ヤダ!ぼぼぼ僕みたいなクズ人間つれてったってしょうがないですよ!
 つれてったって戦わないし!どーなったって僕が大丈夫ならそれでいいんだ・・・・・」
「じゃねぇと俺が殺すぞ。ソラ。自分が死ぬのと相手を殺すの。どっちがいい」

怯えた目で、
だけど、
ハッキリとソラは答えた。

「断然誰かが死ぬ方がいい。僕が死ぬくらいなら皆死んじゃねばいい・・・・。
 ぼぼぼ僕が死ななければなんでもいい・・・・誰が死のうとししし・・・知ったこと・・・・」
「決まり〜♪」

ウサ耳ファンシー殺人鬼は、
トランプのデッキを取り出し、
右手から左手に、
左手から右手に、
パラパラパラパラパラとトランプを移動させた後、
ピッ、と
手品のようにその中の一枚だけを人差し指と中指に挟んで取り出す。

「僕はとりあえずフレンドの匂いの方に行ってくるぜ。ハッピーに遊べそうだ」
「ふん。俺らはチマチマやらせてもうらうぜ。俺達二人は"非戦闘員"だからな」
「オッケー。バリジョイ(バリバリ戦場でエンジョイ)しようぜ」

シドが取り出した一枚は、
絵柄のカード。
カードの真ん中で道化師が笑っている・・・53枚目のカード。

「さ・・・ささささぁ・・・・」
「時に」
「死を始めようぜ」

















                 






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