「――あ、こら、待ちなさい!」
 恐怖の余韻に浸っていたリーヴァ、ドジャー、アレックスはその声にびくりとし、また何か言われるのかと肩を上げた。
 しかし、マリナはカウンターの奥へとばたばた駆けていった。「ネズミ、かな」「カッ、どうだかな」
 しばらく後、「やられた」という顔のマリナが戻ってきた。
「どうかしたんですかー?」
「……コルクの栓抜き、持っていかれたわ……」
 四人はその言葉に口々と、「コルクの?」「誰にだよ」「よりによって何でそれを」「変わった泥棒さんですねー」
「猫よ猫。最近裏口から入ってきて困るの何の」
 先刻、ドジャーの失言を止めるべくこちらにやってきたのだが、その際手元の栓抜きを遠くへ放り投げ、床に落とし、そのまま猫に持ってかれた――そういうことらしい。
「猫は気まぐれですからねえ。僕もすっ転んだ際に落としたパン、盗られました。すぐに取り返しましたが」
「俺もアクセ落としたが、光もので助かったな」
「気まぐれで栓抜き持ってかれちゃたまんないわよ。衛生上悪いし……」
「気にせずギターのマシンガンで追っ払えば良いだろうが」
「店に穴開いたらどうすんのよ」
 人には遠慮なくぶっ放す勢いかますくせに、とドジャーがつぶやいたのを、リーヴァとエレスはしっかりと聞き取った。
 マリナは白々しく、
「でも困ったわね、予備なんて置いてないし。これで前からドジャーがせがんでいた新入荷のブドウ酒、開けられなくなっちゃったわね。あーあどうしようかしらねー」
「んな! そりゃ一大事だ! おいアレックス! 栓抜き買ってこい!」
 手の平返したように、ドジャーが声を上げた。
「どうして僕なんですか……。メッツさんが来ますからそれまで我慢してましょうよ」
 いーや、あいつなら瓶ごと壊す、とドジャーは眉間にしわを寄せる。
「――あ、じゃあ私に任せてくださいな」
 エレスは立ち上がり、得意顔で両手をマリナに差し出す。マリナは少し考えたが、やがてエレスにワインを手渡す。
「怪力で栓を引き抜こうってンのか?」
「か弱い女の子はそんなことできませーん」
 エレスはにししと笑い、ショルダーの金具を外した。手を入れて銃を取り出す。
 それを見た途端、マリナとドジャーとアレックスは眉を上げて目を開き、顔を青くした。
「ちょ、ちょっと待ってエレスちゃん!」
「んなもんぶっぱなしたら瓶がぶっ壊れるぞ!」
「ご飯の場に硝煙臭さはいりませんよ!」
 エレスはそんなのお構いなしに、
「大丈夫ですって。リーちゃんこっち持ってて」
 はいな、とリーヴァも気にせずに立ち上がり、両手でワインの底側を持つ。
 エレスは細長い銃口をコルク栓に突きつける。そこらの銃とはちょっとデザインが違い、丸々としてていかにも可愛い感じだったが、逆にそれが怖そうに見える。
「いっきまーす!」
 三人が慌てて止めようとしたが、もうエレスは引き金を
 ――ダンッ!
 撃鉄げきてつの音はしなかった。
 弾丸は飛び出なかった。
 煙は出なかった。
 瓶は壊れなかった。
 火薬の臭いはしなかった。
 張り詰めた空気の中、お見事、とリーヴァが笑った。
 うん、と手ごたえを感じたエレスはガンマンよろしく銃をくるくると回してショルダーに収める。
 コルク栓には長い釘が垂直に突き刺さっていた。コルク栓をしっかりと貫通し、切っ先が瓶の中へと顔を出していたほどの長さだった。
 三人は呆気にとられてその様を眺めている。
「――あ、いっけない」
 リーヴァを含む四人は何事かと思う、
「釘を引っこ抜くバール、持ってきてないや」
 エレスはぺろっと舌を出して笑い、額を拳でコツンと叩いた。

「まさかネイルガンだったとはねえ」
 マリナはため息をつき、五寸釘がコルク栓にぶっ刺さったままの哀れなワインをカウンターに置く。
「驚かせてごめんなさい」
「っつうかリーヴァもよくびびらなかったな。怖くねぇのか?」
「うん。エレスの腕、信用してるもん」
 えへへ、とエレスはそれを聞いて照れくさそうにほっぺたをかく。
「綺麗な信頼関係ねえ。どこかの二人に見習わせてやりたいわ」
 マリナは微笑んでアレックスとドジャーに一瞥いちべつをくれる。ケッ、とドジャーは足を組みなおしてそっぽを向いた。
 ところで、先ほどは普通に聞き流していたのだが、メッツとは一体誰だろう。聞く限りでは、ドジャーとアレックスの知り合いのようだが。
 いや、それよりも友人だ。
 シグナルを、ここに連れてこよう――
 と、思った矢先、一体何がおかしいのかずいぶんな笑い声が背後から聞こえてきた。
「やっと来たか。おいメッツ、こっちだ!」
 リーヴァは入口に背中を向けて座っていたため、振り返るよりも早くドジャーが手を上げた。
「ああ、ちょっといいですかーっ?」
 更に、リーヴァが振り返るすんでのところで、エレスが入口に向かって叫ぶ。
 向こうも大声で返してきた。
「どうしたぁ?」
「そこらへんに、ちっちゃい魔術師ちゃんいますーっ?」
 メッツという人物がそこを見渡しているらしい間があって、
「お、いたぞぉ!」
「すいませんがここまで連れてきてくださーいっ!」
 立ってるものは鬼でも使うエレスだった。順応性が高いのか、それともただのずぼらなのか。
 すると、
「ひゃああ、は、はなして、離してくださいぃぃ……」
 どっしどっしと米俵を落としているような足音。靴がするすると頼りなく床を擦る音。
 それらと共に、世にも情けない泣き声が向こうから近づいてくる。
 ガハハと笑いながら黄緑色のドレッドヘアーをした男が向こうからやってきた。身体に悪いものばかり食べてそうな小麦色の肌。一瞬二メートルに見えてしまう図体。体重計も二つ必要に違いない。声も身体もでかく、おまけに態度もでかそう。ドジャーがいみじくも言ったとおり、この人物ならワイン瓶をぶっ壊しかねない。いやいやと首を振る華奢な魔術師の手を引っ張って入ってくるその姿は、入学式を目の前にして腰が引けた娘を無理矢理連れ込むの父親のようだった。
「おう、こいつでいいのか?」
 その子ですその子です、とエレスは笑ってお礼を言う。
「な、なな、なんなんですかこの集まりはぁ……」
 青色のピエロ帽子をかぶっている銀髪の魔術師の「ナルちゃん」は身を固まらせ、座っているエレスを引っ張り出してその背後に隠れようとする。すっかりリーヴァとエレスにほったらかしにされていたためか、身もこころも芯まで冷え切っていて、被捕食者のように震えていた。おそらく臆病な性格もそれに伴っている。
 エレスは横へスライドし、背後に隠れた「ナルちゃん」の背中をポンと叩く。
「はい、紹介します、魔術師シグナルちゃんです! 今のところ、、、、、好きなものは甘くて冷たいものだけど、この間と私と一緒に激辛ラーメンとかカレーとかを食べた15歳です!」
 もの凄く語弊の生じる紹介の仕方だった。熟れ頃の果実のようにほおを赤くするシグナル=ベイスフェリは、ぎくしゃくしながら腰を折り、かろうじてお辞儀と分かる動作をするも、エレスの言葉に否定はしなかった。
 その説明を聞いたドジャー、アレックス、メッツ、そしてマリナは「なんだそれ」というような顔をした。
 シグナルがエレスに、「今それどころじゃ……」と言いかけたとき、リーヴァがエレスに、「もうちょっとまともな紹介をしようよ」と言いかけたとき、意味を掴みかねたドジャーが、
「……おい、エロス」
「エレスですっ!」
「そいつは天邪鬼あまのじゃくか?」
「違いますよ」
「じゃあ何か? 変な宗教にでも入ってんのか?」
「まーったく違いますよ」
「ジジィの遺言で、一日一回は辛いものを」
「まだ生きてるそうです」
 ちょっとの間。
 ドジャーはこれだと言う顔をして、
「分ぁーった、マゾだな?」
「ナルちゃんにへんてこな性癖つけないでください」
「じゃあなんでその甘党がカレーの激辛食うんだよ! 気でも違ったのかぁっ!?」
 ドジャーの怒声にシグナルはびっくりし、またもエレスの後ろに引っ込んだ。
「今のところ、って言いましたじゃん」
 エレスはそう言ってもう一度横へスライドし、シグナルのバフォンヘダーを引っこ抜くように外した。
 すると、シグナルの表情が突如変わった。びくびくした様子はなくなり、何かと落ちつきがない雰囲気になった。陰性的な空気は変わってなかったが、ドジャーとアレックスとメッツ、マリナはその微妙な差をはっきりと感じ取ることが出来た。
「ああ……どうしたらいいのかしら……もし、もし二度と向こうの世界に戻れなくなったりしたら……お先真っ暗だわ……」
 曲げた腕を胸元にすえ、困り顔になったシグナルは田舎から上洛じょうらくしてきたお嬢様のように、きょろきょろと辺りを見回す。
 口調が先ほどとは明らかに違っていた。
 何が起きた、とドジャーたちはシグナルに注目していたが、エレスはシグナルのポーチから黄色のピエロ帽子、ファニーヘダーを取り出して頭にかぶせてあげた。
「――まあとりあえず今は捜すよりは他にないかなあ〜」
 またも表情と口調が変わった。目がちょっと垂れ下がり、屋根の上でのんびりと日向ぼっこをしている野良猫のような感じになった。八重歯をちらつかせながら、よく分からないことをつぶやいている。
 次に赤色のピエロ帽子、チアフルヘダーへと変えたら、
「誰かの手に回る前にさっさとしねえと、厄介なことになっちまう!」
 シグナルは更に豹変し、今度は荒っぽくて男勝りな雰囲気になった。これが一番ドジャーたちを驚かせた。いきなり険しい顔となったシグナルからは殺気がどっと溢れ、わずかにだが気おされたのだった。
 エレスは自慢の製品を紹介するように、シグナルに手を添える。
「はいこの通り、ナルちゃんは百重人格で毎日性格が変わり、なおかつピエロ帽子で三つに分かれるのです! 拍手!」
 エレスはそう締めくくって自分で拍手する。リーヴァはシグナルの台詞に妙な違和感を抱きつつも小さく手を叩く。
 拍手にあおられてちょっといい気になったのか、小さな豪傑ごうけつはそこにいた全員を睥睨へいげいし、
「――よろしくな!」
 不敵な笑みを浮かべ、鼻を鳴らした。
 直後、赤色シグナルははっとして、
「――ってそれどころじゃねえんだよっ!」
 エレスによってうやむやにされた本題をやっと持ち出せたというような言い草だった。グラスもひっくり返れよとばかりに、シグナルはテーブルをバンと強く叩く。
「どうしたの、シグナル……?」
 先刻からどうも様子がおかしかった。今日の人格が心配性だったので(その心配性のお陰でミラーを自分たちに見せてもらえたのだが)、リーヴァはそれとはまた違ってそうな気配を察知するのに多少の時間をかけてしまった。シグナルは珍しく焦った顔をこちらによこし、
「ディメンションミラー、無くしちまったんだ!!」
「……え。ええぇ――――――――――っ!?」
 リーヴァとエレスの甲高い叫びが店内の壁から壁へと反響し、木霊する。




                 






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