店の一部を派手に壊した落とし前として、あのバーニングデスを女王蜂から直々に食らって病院送りとなった奴がいたというのは、店内では結構有名な話だった。今だからこそ冷静に思い出せるが、ドジャーとアレックスにとってもそれはホロ苦い記憶の残骸だった。あの修羅場を潜り抜けて以来、二人はマリナだけは怒らせないように(酒場を壊さないように)とこころに誓っている。
 あの酒を飲むと本当に火を吐くかもしれない、と二人は思っていた。
 人間には五つの感覚があり、それらから情報を察知することが出来る。反対に情報を出すとすれば、動作、声、気配などを、それこそ無限大に組み合わせて扱うのだが、所詮それらは元をたどれば全て「筋肉」であり、指令を出すのは「脳」なのである。
 人間は電気うなぎでもなければ、蛍でもない。電気を筋肉以外の器官で流すことは絶対不可だし、発光することも然り。ぞんざいな怪獣が備えている火炎袋など肺の隣に設置して良いものではない。だから、当然ながら人間は火を吐けない。
 たとえ悪名高きバーニングデスと言えども、酒は所詮酒であり、胃袋を火炎袋に見立てて火を無理矢理吐かせるための代物ではない。
 この桃髪の修道士がそれを証明してくれていた。
 結局のところ、人間は火を吐けないし、吐かなくても良いのだと思うと、ちょっと救われた気分だった。
 では、一般人があの酒を飲めば、火を吐かずに一体どういう羽目になるか、それはまた別問題だが。
 さて、問題は席。
 あれ以来、お互い全く無言のまま10秒が経過しようとしている。体感的には10分だった。
 バーニングデスの恐ろしさがよく分かっているため、ドジャーもアレックスも下手な手出しが出来ないでいた。「嘘だろ」と言おうものなら、「じゃあ飲んでみろ」と言い返されるに決まってる。
 ここで、空色ポニテが立ち上がり、席を外す。
 ドジャーとアレックスは脊髄せきずい反射で構えてしまう。
 そのまま何をしでかすのかと思いきや、反対側に座っていた桃髪の方へと移動し、「リーちゃんもうちょっとそっち行って」、向かい側に席を譲る形となった。
「――これでいいですかあ?」
 エレスは目を細め、まばゆい笑顔で言った。帰る気はさらさらないらしい。アレックスとドジャーはその行動にしばらく顔を見合わせていたが、やがて空いた席におもむろに座った。辛さで隣に並ぶものはないバーニングデスが空にされてあることに逆に肝を冷やされたのか、年若な少女二人に出迎えられることに複雑な思いなのか、何も言わなかった。
 いやむしろ、ドジャーに限ってはピアスをご機嫌そうにきらきらと揺らし、面白そうな顔をし始めた。ここでようやく強張っていた空気が弛緩し、余計なことをつつき合うこともなくお互いに名乗れるほどに和らいでいた。

「カカッ! まさかマリナのとこの最強の酒がこうもあっさりとやられちまうとはな」
「よくレイズさん呼びませんでしたね」
「呼んだわよ、一応」
 そう言ってマリナはホロパチャーハンをアレックスとエレスの前に置く。途端、両者はぱあっと目を輝かせてレンゲを手に取り、山盛りの米にそれを突っ込んでいく。この二人、いつの間に注文したのだろう。それともサービスだろうか、バーニングデスのオプションだろうか、押し売りだろうか。後が怖いから止めたいとリーヴァは思うのだが、もう半分まで進んでいたし、こうもおいしそうに食べているエレスに待ったをかけるのはちょっと悪い気がした。
「でもあんなにも簡単に飲まれちゃうなんてね。ちょっと悔しいわ。『平気で飲んでるからやっぱりいらないみたい』って伝えたら、『マリナの酒も落ちたもんだな……無駄足になっちまうし……死ねば良いのに……』ってwisで言われちゃうし。それはそれは暗あい声で」
 死ねば、って。それは自分に言っているのか。
 それを聞いてドジャーは笑う。目つきは悪かったが、いざこうして見ると、案外透き通った笑顔をするんだなとリーヴァは思う。悪人が偽善を身にまとうように、人が見かけに寄らないのならその逆もありうるわけで、この人も案外悪い人じゃあないかもしれない。
「どいつもこいつも災難だな」
「私を不幸の女神みたいに言わないでよ」
 前言撤回。リーヴァは不機嫌そうに頬杖をついてそっぽを向く。斜め向こうと隣は気にせずチャーハンを獣のようにばっくんばっくんと口に運んでいる。思い返せばアレックスも出会い頭からご飯の事しか口にしてなかったし、エレスは元々食事好きだ。ちょっと馬が合いそう。
「そういえばオメェらここらじゃ見かけねえ顔だな? どっから来たんだ?」
「――ああ、えっと、」
「それなんれふけれろ」
 前半は事を思い出したリーヴァで、後半はチャーハンから顔を上げたエレスだった。
「エレス行儀悪いよ」
 だっておいしいんだもん、と聞き取れるようなことを言いながらエレスはなおも口を動かす、一飲み、また食べ始める。
「――アレックスが二人いるみてぇだな」
「そんなにほめないでくらさいよ」
 エレスは照れくさそうに水を飲むが、おそらくドジャーは褒めたつもりではないだろう。エレスは喉笛をさらしてごくんと動かし、コップをことりと置く。
「――えっと、つかぬことをお聞きしますが、」
「ここって、ルアス?」
 前半はホロパチャーハンの皿を空にしたエレスで、後半はバーニングデスをついに空にしたリーヴァだった。
 足を組んでいたドジャーと、すでにエレス同様チャーハンを食べ終えたアレックスはそれを聞くと、「ここがルアスじゃなかったらあんたたちはどういう反応をするんだ」という顔をした。
 その様子を掴み取ったリーヴァは、ううん、と考えるしぐさをする。
 二人に訊くまでもなく、ここはルアスだと信じたい。家の素材とか、造りだとか、石畳とかは間違いなくルアス特有のものだった。空気が少し変だ、と言う点を除けば。
 適度に口ごもりながらだったら信憑性が増すだろうか、とリーヴァは思いながらこの酒場に至った経緯を話し始める。



「鏡よ鏡よ鏡さん。皆に会わせてくださいな。そーっと会わせてくださいな!」
 エレスがそう言って、楽しそうに口ずさむ、リーヴァにかざす。
「……なーんにも起きないね」
 ポーズを決めていたエレスがそれをやめて鏡面を見つめる。
 フレーズが古すぎるとリーヴァは思う。でも、使用法が明らかに違う、という一言がどうしても口から出せない。ディメンションミラーというらしいその手鏡は、おままごとで使えそうなほどの小ぢんまりとした代物で、リーヴァとエレスの友人魔術師が持ちかけてきた。友人が普段常時しているアポカリプスミラーとはまた違う気を、この手鏡は放っていた。家でたまたま見つけ出し、変にまがまがしくて不気味だ、とリーヴァとエレスに相談してきた。
「やっぱり魔術師じゃないと使えないかもね?」
 リーヴァもディメンションミラーの鏡面を覗き込むが、そこには水色の板っきれがはめ込まれているだけで、自分の顔を映し出さなかった。何も映さない鏡に、えもいわぬ恐怖を感じる。
「なのかなあ……」
 エレスはつまならそうな息を吐き、友人にミラーを返す。
「――あ、じゃあさ、赤色ナルちゃんなら何かが起こるかも?」
 エレスがそんなことをひらめき、リーヴァもなるほど、と賛同する。「赤色ナルちゃん」が一体誰なのかはもう予測はつくであろうが、あえてここでは明記しないでおく。早くやってみてくれと好奇心のまなざしをする二人に、友人は恐る恐るうなずき、ポーチからとある帽子を取り出して頭にはめた。
 途端に友人は目つきを変えた。じっと鏡に目を凝らして――
 そこからの記憶はあまり覚えていない。
 多分、「鏡の向こうに別の景色が見える」と、一秒では理解しがたいことを述べたような気がする。何のことか問おうとしたときには、友人は何故か意気込んで鏡をかざし、魔法を詠唱して――確かウィザードゲートと唱えて――
 その後、鏡からは太陽の光とは違う真っ白な光が出始めて、何事が起きたのかと考えらせる間もなく、リーヴァとエレスは視界を塗りつぶされて――

 気がつけば景色が変わっていた。
 目の事実を、脳が拒否した。
 しかし、体感的にも魔法で移動した感覚だった。ウィザードゲートで場所を移動した経験はある。同じ魔法なのだから、今度もそんな感じだった。
 まず気になったのは、薄暗さと時間の経過、そしてどうして自分たちはウィザードゲートで始点と同じルアスへ飛んだのか≠ニいうこと。
 けれど、このルアスはまるで別世界のそれだった。
 明らかに民家の配置がおかしい。こうもいびつだったか。まともに建っている民家よりも、今にも崩れ落ちそうな半壊の家の方が視界を多く占めており、ここが一体全体どこなのかという疑問が何度も何度もこころに浮上しては沈殿する。視界の映像を書き換えられているのではと疑うほど、足元を支えてくれる石畳はさっきまでとは程遠い感触だ。まるで温かみが感じられなく、ざらざらしてて落ち着かない。それに、空気も妙に汚れている。ゴミと埃が終始漂っている感じで、一週間もいれば喘息になってしまいそう。春夏秋冬晴天曇天雨天どんなときでさえ顔色一つ変えそうに無い、重苦しい質感を閉じ込めている。今日は青々とした晴れの日だったのに、今や空には靉靆あいたいとした雲が敷き詰められ、ほの暗い。
 それらの要素全てがリーヴァの胸元によりすがり、灰色の雲をもたらす。
「……ここ、ルアス、だよね?」
 リーヴァが訝しげにきょろきょろと見渡すが、エレスも友人も答えにくそうな顔だった。
「何か変だね」
 エレスも珍しくきょとんとした面持おももちでリーヴァに倣う。
 首を傾げてみても、地平線を埋め尽くすボロボロの民家たちが一斉に傾くだけ。
 リーヴァは新聞配達のバイトをやっているから、ルアスの地理も少しは把握している。しかし、こんなところは身に覚えがない。自分の頭の中にある地図でも見つけにくいような小さな地域にぶっ飛ばされたのだろうか。正しく言えば鏡の光に包み込まれただけなのだが、それだけだとウィザードゲートの説明もつかないし、自分たちのいるところがまるっきり変わっているのだから、これはもう「ぶっ飛ばされた」としか言いようがないのかもしれない。
 もしくは――
 いや、まて、結論を急ぐな。
 けど、しかし――
 リーヴァは友人の言葉を思い出す。
 鏡の向こうに世界が見える。
 本気で気味が悪くなってきた。
 自分たちはあらぬところに来てしまったのかもしれない。
 自分たちは、ルアスに似た、しかし全く違う別世界へと飛んだのか。
 そんな話、すぐには信じがたい。
 足は動いてくれるだろうか――
 よし。
 動いた。
 異常なし。
 さて次は――
 どうしよう。
「――じゃあさ、そこの酒場に入って、ここがルアスなのかどうか、訊いてみる?」
 エレスが、すぐそこにあった酒場を指差した。
 眉間にしわを寄せるリーヴァは看板を見上げ、文字を目線でなぞる。
 この状況、吉と出るか凶と出るか。
 埃っぽい風が吹きつける中、きっと何かの間違いだ、とリーヴァは思う。

「――で、ここに来た、と」
 ドジャーが落ちを言った。
 二言目には「んな話が信じられるか」と、今までの話を作り物と総括されそうだった。リーヴァは白状したことをちょっと後悔し、うなずこうとしたままうつむいてしまった。
 しかし、返ってきたのは声でなくため息だった。
 ドジャーは腕を組んで天井を仰ぐ。
 信じてもらえるか訊こうとしたら、アレックスが、
「――またですか」
「――また?」
「たまぁ〜にだけどよ、そう言い張る奴らがここに来るんだ。並行世界っつったか? ま、神の気まぐれだかなんだかっていう胡散臭い御伽話でよ。ついでに言っておくとだな、ここはルアスの隅っこに位置する99番街だ。日当たりの悪ぃところだから治安なんて届かないのも当然だが……このルアスを統括する存在なんて初めっからなかったも一緒だから、どこも大してかわんねぇし」
 ドジャーが顎を引いて視線の高さを戻した。
 前半の話は、聞いたことがある、気がする。
 それなら何となく話が繋がりそうだという感じがしてきた。全く同じ造りの世界が無数に存在しており、それらが同時進行されているという説。それらの世界でそれぞれの現象が生物の活動によって発生し、一つの歴史を形成していっているそうだ。けれど、こうやって寂れた別世界を見せられるあたり、どうやら神様も多忙らしい。 
 実際、自分たちはルアス99番街などという地名を一切知らない。ルアスの治安が悪いだなんて暴言もいいところだと思う。
 隅っこという言葉に、影という言葉が派生する。
 半ば諦めかけていたこころに埋もれる仮定が、段々と確証めいたものになっていく。
 それでも衝撃的だった。
 なのに、
「――す、すごいよリーちゃん! 私たち世界をひっくり返しちゃったんだよ!?」
 エレスは深くは考えず、その事実を丸呑みしただけで終了し、単純にはしゃいでいた。
 どちらかというと、自分たちが次元を越えてしまった、というほうがより正確なのかも知れない。
「わーびっくりだなー。私たち歴史に載っちゃうかも!」
 エレスは勝手に頭の中であらぬ方向への妄想を繰り広げる。果たして誰も信用してくれなかったらどうするのだ、とリーヴァは思う。
 それに、さっさと帰らねば色々と面倒なことになりそうな気がしてたまらない。
 理由なんか決まっている。
 意地悪い言い方で失礼だが、こんな何が起きてもおかしくなさそうな暗いルアスにエレスという材料を放り込めば、どんな化学反応が起きてどんな悪い作用をもたらすか、想像しただけで頭が痛くなる。
 が、こうも思う。別に異文化交流してみようとか言うのんきな思考でも開き直りでもないが、この世界を探れば何か元の世界では見つけられないものも発見でき、いい教訓を学べるかもしれない。この世界の現実を突きつけられると、自分たちの浸かっている湯のぬるさを思い知らされる。それに、エレスと一緒にいると非日常な出来事に巻き込まれるということなんて、今に始まったことでないからとっくに承知しているし。
「まあ、せっかくこっちへきたんですし、ゆっくりしていったらどうですか?」
「カカッ! そうだな、なんせあのバーデスを飲みきったつわものと一緒に飲めるんだ。今夜は騒がしくなりそうだなぁオイ」
「いや別に私たち一晩中ここにいるつもりじゃ……」
「細けぇことは気にすんなよ、リーヴァと……エロスだったか? エリスだったか?」
「エレスですっ!」
 意外なことにエレスがむきになった。後者はともかく、確かに前者は酷い。もっと別の呼び名なら笑って流すだろうけども、勝手に性愛の神にされるとさすがに寛大なエレスでもご立腹になるらしい。
「最近人の名を覚える機会が増えすぎてよ、疲れてんだ。めんどくせぇからエロスにすっぞ」
 カカカッ、とドジャーは満足げに短剣を手で躍らせる。
「リーちゃん〜セクハラうけたよぉ〜」
 エレスが隣のリーヴァに泣きついた。あーよしよしとリーヴァは頭をなでて慰める。
「ドジャーさんだって炊飯器みたいな名前のくせにぃ……」
「……オメェほんとにアレックスみてぇだな。生き別れの兄妹かぁ? オメェらなら次元も越えかねん」
 身も蓋もない冗談だった。
「まさかそんなこと――」
「――あるかもね」
 前半は笑って手を振るアレックスで、後半は髪をとくリーヴァだった。
 つかの間の沈黙がそこにあった。
 ちょっと言葉が過ぎたかなとリーヴァが思ったとき、エレスがゆっくりと腰を上げる。アレックスに近寄り、目の前に立った。
 アレックスも立ち上がり、エレスと視線を合わせる。
 お互い見つめ合っていた。
 自分以外の人間を知らないアダムとイヴがエデンで初めて邂逅かいこうを果たしたかのように、ずっと見つめ合っていた。
 永遠とも思えるような長い時間、しかし実際には10秒と5秒後、
「お兄さん!」
「妹よ!」
 ハグ。
 リーヴァとドジャーは短く息を吐き、刃物よりも冷めた目つきで一言、
「一生やってなよ」
「一生やってろよ」
 そこでドジャーがリーヴァに視線を移動させて、
「そういや気になることが一つあんだが、」
「うん?」
 アレックスとエレスも、いきなり磁石が同極になったように抱擁を解除して、ドジャーの言葉に耳を傾ける。
「こっちに連れ込んできた魔術師、今どこにいんだよ?」
 ――あ。
 言われてようやく思い出した。回想したまでは良かったが、全部吐き出したという開放感にまどろんで一旦落ち着き、自分たちをこっちの世界に飛ばしてきた張本人であり友人である人物を思い出さなかったというのは、ちょっとおかしいと自分でも思う。
「今酒場の外にいますよ。未成年だから入っちゃ駄目って言っておいたんです」
「あら、なんだ、お酒以外にコーヒーとかもあるから連れてあげても良かったのに」
 マリナの返答に、エレスはなあんだ、と言う顔をした。リーヴァもそれを聞き、そっちを頼めばよかった、と後悔する。こっちの世界の豆は一体どんな味だろう、と思わなくも無い。バーニングデスだって結構変わった味をしていた。しかし、こっちの世界にとってはこれが普通の味なのかもしれない(かといって、誰もこの酒に挑戦は出来ないだろうけど)。もしこっちの世界の人と味覚が違うのなら、それはそれで冒険になる。甘いのか、それとも苦いのか、それ以外か。ああ気になるどうしよう今からでも頼もうかな。
 そこで思いついたように、アレックスも気になることを言った。
「そういえば二人とも若いですよね。おいくつなんですか?」
 えー訊いちゃうんですかー、とエレスは言っていたが、リーヴァは気にせずに答える。
「私は17で、エレスは19」
 すると、ドジャーとアレックスが何故か一瞬だけ怖い顔で驚き、
「――はっ!? おいちょっと待て、オメェらも、未成年だろ! 20になってねぇじゃねぇか!」
「え――ええっ?」
 リーヴァは当惑する。
 それに対し、エレスはあっさりとした口調で、
「――私たちの世界じゃあ、男性18歳、女性16歳で成人と認められるんですよ?」
「な、何ぃ!? カァーッ! くっそしくじった! 俺もそっちの世界で生まれりゃあよかった! 二年も損した気分だぜ!」
 しこたま驚いたドジャーの顔には、「もの凄く羨ましい」と書かれてあった。でもそんなこと言っても何も始まらないから仕方ない。確かに自分たちの世界で誕生したらもうちょっとまともな人生送ってこられたろうし、いち早く酒も楽しめただろう。神様にもうちょっと余裕と情けと思慮分別があれば、自分たちの世界で出会えたかもしれないけれど、こっちで生まれてしまった以上は、おのが不明を悔やむ以外に他はない。もっとも、このドジャーのことだから、15歳辺りから飲んでいそうな感じがすると言えばするのだが。また、そうなってしまったのもこちらの世界がこんなのだからかもしれないと言えばかもしれないのだが。
 こっちでは20歳か、と思いつめた。こちらの当たり前とあちらの当たり前の差異が、意外なところから出てくるのだなと感じる。
 確実に理想とは違う異文化を吸収している自分がいることを、リーヴァは否定できなかった。
「郷に入っては郷に従えって言うけど……もうこっちには従うべきものなんてないし、今日はサービスしてあげるわ。私も一人の女だから年齢には気遣いたいしね?」
 栓をあけようとしたワインを置き、マリナはカウンターに頬杖をついて笑ってきた。
「若さは女の武器だもの。年の回数数えるのってほんと、女にとっては無駄な行事よねえ」
 するとドジャーが、
「おーおー、やっぱ回数を重ねた女は言うことが違うねえ。たしか今年でにじゅーろっ……」
「今年で、ちょうど、20」
 瞬間移動したのかと思った。
 もしくは空間を超越したのかと思った。
 あるいは10秒だけ時を止めたのかと思った。
 とりあえず、マリナはドジャーのそばまで来ていて、胸倉をがっちり掴み、細い腕からして女だとは到底思えないほどの腕力で引きずり上げていた。腰をどっかり置いてたはずのドジャーの身体は、半分ほど宙に浮いていた。
 壮絶な威圧感に圧倒され、どうやってそこからここまで来たのだろう、の一言にどうしても思い至らなかった。
「私は、20」
 まるで自分に言い聞かせるように、マリナは硬い声で非常に歯切れよく言って、「さっさと復唱しろでなきゃどうなるか分かってんだろうな」とも、「その話はするなと何度も何度も何度も言ってるだろうがヤキ入れるぞ」ともとれるような、見事な笑みを作った。
 リーヴァは、女神が仁王に成り変ったさまを、確かに認めた。
 息が苦しいのか、蚊の鳴くような小さい声で「20です……」とドジャーがつぶやいた。瞬間後、マリナの右手は開き、ドジャーの腰はどっさりと椅子に落とされた。
 マリナは地雷のような目つきで、異論あるやつはいるか、とそこにいた四人を見渡す。誰もが何も言い出せない中、エレスだけは穏やかな微笑で首を振った。
「――そ」
 とだけ言い残し、マリナはつかつかとカウンターに戻り、脇のテーブルを一旦立てて中へと入った。さっきも几帳面にああやってからこちらに来たのだろうか。それとも本当にカウンターを飛び越えたのだろうか。
 本当に息が苦しかったらしく、ドジャーは全てから開放されたようなため息を吐いた。
 リーヴァは、ここで初めて、ルアス99番街が怖いと思った。




                 






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